昨年は年賀状を2通書いて投函したのだが1月3日に移転先、今の住所に2通届いた。
だが・・・
2通とも私が送った相手ではなかったのには新年早々失笑した。
世の中とは万事そう言ったものだ。
〜〜〜
私宛てに届いた1通は高校時代の同窓で文面は
昨年末に同業他社に転職されたし
今年は正念場の一年になり候
〜〜
さもあらん。
彼は
’これまでが崩壊する時代’シフトチェンジし変わることが出来た人である。
彼の仕事のピークは2005年頃でITバブルに後乗りして若くして年収は700万円の大台に乗っていたらしい。
淫獣カネゴンの言う’普通の年収’である。
彼は独身者だから。
この年の4月に私は会って食事をしたのだが自信に満ち溢れていた。
だが・・・
2008年のリーマンショックを機に風向きは変わり2009年秋に再開した時はもう景気の良い話は聞けなかった。
その後も高校の集まりで年に1回は会っていたのだがドンドン落ち続けていたように思う。
会社との契約が年棒制だったらしく年収は下がり続けていながら仕事の量はドンドン増えて行ったそうな。
サービス残業という地雷 (経営者新書)伊藤 勝彦,小國 佳代幻冬舎
1日の労働時間が15時間なんて全然普通らしい。
休日出勤も然り。
年によっては彼の1カ月の労働時間が私の1年の労働時間に匹敵した可能性がある。
アリとキリギリス―イソップ物語 (にいるぶっくす すまいるママめいさくステッチ)すまいるママヴィレッジブックス
ま、兎にも角にも彼は変わることが出来たんだろう。
持ち前の負けん気と、馬力、何よりプライドの高さでまた栄光をつかみ取って欲しい。
エールを込めて私は年賀状をしたためポストに投函した。
〜〜〜〜
もう1通は大学の先輩からで実は彼が卒業してから10年余りで正味、3回しか会っていない。
良く会ってたのは大学時代、それも1年時の前期だった。
お世話になって居ないと言えば嘘になるがそれは多分に彼が気前が良くてご飯とか色々奢ってくれたからである。
だが彼は別に裕福な家の出ではなかった。
関西地方の中流家庭の次男坊で兄弟で大学時代がかぶっていたので仕送りも少なかった。
90年代の話だがお風呂とトイレが共同の築40年の賃貸アパートに住んでいたくらいである。
普段の服装は春夏秋冬学ランであった。
それこそ男の匂いが染みついた。
当時でも珍しいアナクロ人間だったが名物学生の一人で大学生活を大いに謳歌していたように思う。
1998年の6月に5月病をこじらせて死んでしまった私なんかよりも遥かに。
だが・・・・
時代的なものもあるかと思うがこの人も就職活動を機に一気に生彩を欠きドンドン失速して行ったように思う。
就職氷河期世代が辛酸をなめ続ける (Yosensha Paperbacks)宮島 理洋泉社
ロストジェネレーション―さまよう2000万人朝日新聞「ロストジェネレーション」取材班朝日新聞社
ほとんど保障もない薄給のブラック企業を転々としまたは派遣で食いつないだり、最悪無職の時期もあったらしい。
ぶっちゃけほとんど疎遠になっていたので詳しくは知らない。
本人が言うには大変だったと言う。
だが・・・5年前に再開した時、私は何かが違うことに気付いた。
雑誌編集をしていたからかと思うが服装は垢ぬけたしあろうことかブランド品それも機械式時計なんかをしていた。
私も時計が好きだから話を振ってみたら結構、詳しい、詳しい。
大学時代の彼とは全く変わってしまった。
当時、彼は腕時計なんかしていなかったからである。
アメ横かなんかで買ったであろうチャイナメイドの懐中時計、それもクォーツの、見るからに安っぽいメッキのだった。
一番変わったのはお金に対するスタンスで社会人なってから会う機会なんて激減し2年に1回もないのに絶対に奢らなくなった点である。
出したがらないのがあからさまだから逆におかしい。
確かに経済的にキツイんだろう。
だがそれとて独身である。
もっと言うと学生時代だってお金はなかったはずだが・・・
私が大学1年時彼を慕っていたのは映画「男はつらいよ」の寅さんに一脈通じる、切符の良さだった。
相手を問わず昔から奢られ慣れしている私だが礼を欠かしたことはない。
だが彼はこう言ってのけた。
先輩が後輩に奢るのは当然のことだよ。
僕にしたことを今度は君が後輩にして欲しい。
私はこの教えを忠実に守り2年になってからサークルの新歓や飲み会等で結構な金額を使ってしまった・・・
個別でもチョイチョイ。
ぶっちゃけ経済的にきつくなかったと言ったら嘘になる。
だって仕送りは家賃分しかもらってなかったんだから。
何より私は滅茶苦茶ケチなのでクソ面白くない飲み会等で自分の命の次に貴重なお金がなくなって行くのが本当に本当に嫌だった。
で、男女とも特に可愛がりたくなる後輩もいなかった。
と言うわけで中学高校大学社会人になってから私は後輩らしい後輩は一人も居ない。
ちょっと親しくなって会えば会ったで奢らなきゃいけないから親しくならない、仮になっても
会わない
これがお互いにとって1番だと思うからである。
話を件の先輩に戻すが社会人になって直ぐに私は彼が相当、無理をして 自分が理想とするカッコいい誰か を演じて居たことに気付いた。
学生時代から薄々気づいて居たんだが社会人になって、つまり彼がまた1番下の身分になってそれが如実に分かった気がした。
それで疎遠になってしまったのもあるかと思う。
ところが2年前から実際には会わないがまたメール等でやりとりするようになった。
例にもよって何回目かの会社をリストラされて困窮していた。
私は経済的には決して裕福ではなかったがお金のかかる趣味はほとんどやめており実家暮らしと言うこともあり食料を送ったり頼まれてヤフオクに代理出品したり、断捨離中だったので彼の好きなブランド衣料を格安で譲ったりまぁやれるだけのことはしてあげた。
そう、大学1年時のある時期、結構、奢ってもらったから。
情けは人の為ならず大戸 麗輔太陽書房
である。
だが・・・・
今年の夏に彼からメールが来てタイメックスの腕時計を新品で買ったが安っぽくてどうのこうの云々・・・
これには大いに落胆した。
なぜならばその前に時計うんちく話をした際に安くてハッタリが効く時計は国産の古いのだよ、と力説したしタイメックスも現行ではなく古いのが良いって話したから。
何より電話も止められている輩がなにゆえ腕時計なんか、それも新品で買うんだろうか?
理解に苦しんだが直ぐに
さもあらん
と頷いた。
彼の住所は東京都某区の駅から徒歩15分ほどにあるアパートだが大学卒業後10年以上ずっとそこに住み続けている。
ちなみに家賃は63000円である。
社会人、それも年齢を考慮した場合、安い。
だが、その収入や不安定な身分(現在はまた学生である)を考えたらとてもじゃないが安いとは言えないだろう。
実際の話、ちょいちょい家賃が払えなくなったと言うが誰が代わりに払って居たのだろうか?
滞納しまくったら追い出されているはずだから。
彼は言う
年越し派遣村は他人事ではない
であるならばなぜもっと家賃の安い所に引っ越さないのだろうか?
引っ越し費用はかかるが直ぐに元は取れるはずだ。
ってかこの御時世、強気だった家賃相場も遂に大幅な下落を始めた。
23区とは言え場所も場所だし古い木造安アパートで63000円は高過ぎると思う。
所持品が多いとも思えない。
少なくとも大学時代は4畳半一間に住んでいたんだし。
埼玉県には2万円台から風呂トイレ付ワンルームはあるんだし。
私がもっとも引っかかったのは社会人になってから彼が私にかなり駄目出しをするようになった点である。
最初に駄目出しされたのはこのブログである。
2005年頃と思うが当時、彼がバイク雑誌の編集者をしていたから。
下手の横好き、非生産的な自己満足と思ったらしい。
相当、上目線で批判されたが・・書店に行って彼の編集しているバイク雑誌を手にとって読んだがちっとも面白くなかった。
だって今時、レーサーレプリカなんか特集組んでましたから。
人手が足りないらしく
「編集部に来て広告の営業の手伝いをして欲しい」
と言われたがとてもじゃないがやる気はおきなかった。
それから1年足らずでその雑誌は廃刊が決まり彼は職を失ってしまった。
その後、2年くらい音沙汰がなかった。
その後、久しぶりに会って話したらまぁ駄目だしの数々を受けた。
彼の言い分はこうだ。
お前は東京生活の厳しさに耐えかねて安易に都落ちして楽な人生を選んだ
良い年してろくに働かず実家で親の脛を齧っている
だけでなく分不相応に、車やバイク、それも輸入車なんかを乗り回し毎日、遊び呆けている
だけでなく相変わらず、女の子のお尻ばかり追いかけ回して居る
そんなお前をせっかく大学まで出してあげた親御さんは許さないぞ
何より世間が許さないぞ
人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))太宰 治新潮社
彼のいい分では逆に自分は何度もリストラされ苦汁を舐め続けても歯を食いしばって東京で独立生活を維持してる。
であった。
だが・・・
薄々気づいていたが彼の経済的状況ではとてもじゃないがありえなかった。
素朴な疑問だが年金とか健康保険とか大学時代に有利子で借りて居た奨学金の返済とかどうなっているんだろうか?
なぜなら実家暮らしの時でも私は上記支払いが結構しんどい月がなくはなかったからである。
払えず親が払った月もあったが完全肩代わりしてくれるほど甘くはなかった。
自由業者はまとまったお金がポンっと入る。
その時にポンっと返済である。
同様にポンっと車を買い。
ポンっとオートバイを買い。
ポンっと家を買う。
逆もまた真なり。
全て楽しんだらポンっと売ってしまう。
ああ正負の法則美輪 明宏PARCO出版
私は凡百の自称金持ち以上に贅沢病の一面がある。
だが凡百の自称貧乏人を凌駕するほど質素で吝嗇家の一面もある。
一方で誰よりも中庸を重んじる極めて常識的な日本人の一人である。
一言で表現すれば
身の程を知っている
ゆえに経済的にも精神的にも無理するような買い物は絶対にしなかった。
そうした生活も求めなかったししなかった。
件の先輩は私よりも自動車やオートバイが好きなんだろう。
実際の話、分野によっては私よりも詳しい。
ゆえにそれを生業にしようとした。
だが上手く行かなかった。
それどころか自動車に至っては一度も所有して楽しむことが出来なかった。
オートバイは何台か買ったが色々と忙しい上に技術もないので十分楽しんだとは言えまい。
学生時代から趣味人を気取っていたが残念ながら私の足元にも及んでいなかった。
確かに外見、それも服装は変わっていたが中身は凡人中の平平凡凡人、小市民中の小市民だった。
の癖に前述したように誰か知らないが、理想の人間 大人物になろうと無駄に肩に力を入れて豪快気取りだった。
座右の銘は
人生は博打
だったっけかな?
だが繰り返すがその中身は何の変哲もない凡凡人だった。
ゆえに大そうなことを言う割に
大学それも名の通った有名大学→一流企業に就職→結婚→マイホームとマイカー
と言う戦後の日本人の人生モデルケースにやたらこだわっていたんだろう。
だが・・・
高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay (ペーパーバックス)中野 雅至光文社
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)佐藤 俊樹中央公論新社
日本の常識を捨てろ!落合 信彦光文社
バブル崩壊後、90年代の大変革に彼は気付かなかったと思う。
三浪している私の先輩なので4歳年上、1975年生まれである。
現役で大学に受かっていた同窓連中は
あすなろ白書(1): 1 (BC)柴門 ふみ小学館
みたいなキャンパスライフが送ったんだろう。
私が口癖のように
高校時代は面白かったのに・・・・
と言っても彼には全く響かず。
私は全くと言って評価して居なかった大学の方が面白いと言って憚らなかった。
だが・・・・
迷走中に何かしらの人生指南本を読んだかどこぞの自己啓発セミナーを受けたのか知らないがおおらかさがなくなり融通も利かなくなり真面目腐った面白みのない輩になってしまった。
曰く
派遣とかフリーターとかは駄目な奴
ニート、引きこもりは人間のクズで論外
働かないで生きてる輩、ここでは不労所得も含む、デイトレとか株とか不動産収入とか親の遺産で細々生きてる輩とかも否定しまくっていた。
随分前、私はこの本を読んで大いに感化されたんだが・・・
年収100万円の豊かな節約生活山崎 寿人文藝春秋
何かの折に電話でサラッと話したら否定しまくっていた。
彼の周りに一人居たらしい。
へぇ〜羨ましいですなぁ〜
なんて返したら軽蔑と怒りが入り混じったお説教を受ける羽目になった。
まぁ元々私と違うタイプの人間だったのだが益々意見は合わなくなり疎遠になってしまったのもむべなるかな、と。
結局、この人は世間の物差しで自分よりも駄目な奴と認定された輩を否定することで自分自身の残念な現在を肯定してるに過ぎない。
何かを否定してこきおろす点では私と似ているがその根底は違うと思う。
私はニートだろうと引きこもりだろうとフリーターだろうがパラサイト・シングルだろうが恋人がいなかろうが一生独身者だろうが別に否定はしない。
本人が好きでやっているのなら。
ただ
いつまでもそんな生活を続けられる保証はない
し何より
自己欺瞞だけはするなよ!
これだけは特記しておく。
みんな自分の心の中に弁護士が多過ぎるんだよ。
私の心の中には弁護士なんて一人も居ない。
検事が3人と裁判官が1人いるだけだ。
そいつは世間なんかよりも100倍は厳しい。
天才 勝新太郎 (文春新書)春日 太一文藝春秋
後篇につづく