俺はさえない、ごく普通の男
水とシャンパンの違いもわからない
女王陛下にも、会ったことが無い
俺は、あいつが持っているもの、すべてを手にいれたい
そう、俺は、デヴィッド・ワッツみたいになりたいんだ
夜、眠りにつくとき
デヴィッド・ワッツみたいに戦う夢を見る
そして、学校のチームを勝利に導き
試験も、全て合格するんだ
デヴィッド・ワッツみたいになりたい
デヴィッド・ワッツみたいになりたい
デヴィッド・ワッツみたいな、素晴らしい人生
俺は、デヴィッド・ワッツみたいになりたいんだ
あいつの成績は、学校で一番
そのうえ、チームのキャプテンだ
性格も、陽気で無邪気ないい奴なんだ
あいつの持ってる金が、全部俺のものになればいいのに
ホントに、あいつみたいになりたいよ
近所の女の子達はみんな
あいつをデートに誘おうと
頑張ってるけど、誰もうまくはいかない
なぜならあいつは、純粋で育ちのいい、お坊っちゃまだからさ
デヴィッド・ワッツみたいになりたいよ
デヴィッド・ワッツみたいになれたらな
あんな男になってみたい
デヴィッド・ワッツに、憧れてるんだ

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事実は小説より奇なりというが、この男は実在する!
Uさんを私に引き会わせてくれたのはF氏だ。
1998年の7月の終わりだっただろうか?
場所は90年代の若者のメッカ’イノヘッドパーク’である。
そこにあった野外飲み屋で我々3人は焼き鳥をつまみに飲んで駄弁っていた。
F氏とUさんは大学のお茶サークルで出会ったんだがF氏はお茶など全く興味がなく女の子目当てであった。
と言うのはF氏はギャルを蛇蝎のごとく嫌っておりお茶サークルに来る様な大人しくて清楚で古風な女性が好みだったからである(ま、これも青年特有の妄想に過ぎなかったんだが・・・)。
Uさんは学年は一つ上だったが実際には23,4で高校卒業後、物書き養成の専門学校に通って就職したが限界を感じ一念発起して大学に入り直したそうだ。
変わった経歴だがそれ以上に顔は田辺誠一似のハンサムだし背は高いし物腰は柔らかい紳士だし弁は立つしお洒落だし男っぽいし・・・・
F氏のUさんに対する思いは崇拝の念に近かったように思う。
噂はかねがね聞いていたが実際に会って話して「さもあらん」と思った。
当時、私はTV界に興味があって山田五郎みたいな胡散臭いコメンテーターの類になりたがっていた。
有効なアドヴァイスを幾つかもらったように思う。
宴は3時間ほどでお開きになり翌日私とF氏は江ノ島に海水浴に行った。
今の私からは考えられない話である。
女の子目当てでお茶サークルに行ったF氏だったが実際には目論見通りには行かなかったようである。
確かにF氏も(Uさん程ではないが)ハンサムで色白、貴公子然としていたので女の子受けは良かった、私なんかより遥かに。
連絡先は簡単に聞き出せたしデートの類も結構、こなしたはずだ。
F氏ほど対異性で向こう見ず、否、行動的な男を私は他に知らない。
女の子に会うと誰であれ育ちのよさに起因する馬鹿丁寧な自己紹介を始め大学近くの文具店で作ってもらった名刺を渡し言葉巧みに連絡先、つまり携帯かPHSの番号を聞き出すのだ。
私も実際に間近で何度も見たが女の子は意図も簡単に番号を教えてしまう。
それが大学構内で会った女子学生ならいざ知らず初めて道端で出会った女の子ですら教えてしまう。
何処の馬の骨とも分からん男に・・・・
何をしてナンパと言うか私は分からないがこうした行動を「チャラい」とか「軽い」とか言って否定する人間は男女問わず人間の上っ面しか見えない底の浅い人間としか言えない。
行儀良く聖人君子ぶってお前は何様なんだ?
と。
男も女も人間なんてそんな大そうな生き物ではない。
結局、皆、美しいものには弱いのだ。
男は美人に弱いし女もまたハンサムに弱い。
誰もが持って生まれた根源的欲求がある。
まして10代の若者、ヘテロなら男は女が大好きだし女もまた男が大好きだ。
美に対する欲求に対しては皆、正直だ。
これを否定する輩は人間であることを否定している。
美を崇めない、若さを有り難がらない醜く不正直な人間だろう。
とはいえ連絡先を聞いて実際にデートして・・・トントントン・・・とは行かなかった。
そこから先は更なる’腕’が必要だったと言う話だ。
秋になってF氏も経験を積みトントンくらいになった。
東西線の車内で女の子と一緒に居たらUさんを見かけたと言う。
だが・・・・Uさんを発見したF氏は一目散に隣の車両に逃げたらしい。
女の子の手を引っ張って。
Uさんも女の子連れでありその子の方が遥かに可愛かったからだと言う。
この辺りにF氏のUさんに対する複雑な心境が伺える。
崇拝しつつも対抗したい、いつかは越えたい存在だったのであろう。
F氏とは全く関係がないが違うサークルで知り合った先輩が居た。
これまた変わった先輩で三浪しており年はUさんと変わらなかった。
やはり無類の女好きであり私と神宮球場へ六大学野球を観戦に行った際、他サークルの新入生の女子を熱心に勧誘していた。
だが、この女の子、何処からどう見てもギャルギャルであり先輩の主催する自称勉強サークルには全く不向きであった。
私はなぜ絶対に入らないであろう新入生を必死で勧誘するか?
さっぱり分からなかった。
徒労に過ぎないのではなかろうか?
と。
しばらくしてその先輩に会ったら件の新入生が一緒にいた。
開口一番
「紹介するわ。俺の彼女の〜さん」
これにはただただ閉口するしかなかった。
〜〜〜〜
90年代、内田裕也の伝説と並んで田中康夫の伝説が巷に流布していた。
曰く
飛行機に搭乗した途端、片っ端からキャビンアテンダントの連絡先を聞きまくった
曰く
東京モーターショーで片っ端からコンパニオンの連絡先を聞きまくった
この手の話を高校時代に仕入れた私はかなり眉唾であった。
いくら何でも大人の女性を馬鹿にしている。
だが・・・・大学に入った私は全く否定しなくなった。
百聞は一見に如かず、いつの時代も事実はかくも雄弁なのだよ。
話を元に戻そう。
この先輩にUさんの話を振ったら同学部同学年と言うこともあって知っていた。
曰く
「彼はいつも女の子と一緒に居るけど、いつも違う女の子やね」
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20世紀末の東京はそれまでこの国に脈々とあったユース・カルチャー総決算の様相を呈していたように思う。
街の主役は間違いなく高校生でありそれは底抜けに明るく華やかでインモラルなコギャルであり爽やか好青年のスーパー高校生であった。
大学はとっくのとうに衰退しており二番手の位置に転落して久しかったのだが一番手と二番手の差は歴然としていた。
17歳と19歳では今の20歳と30歳以上の開きがあったように思う。
そんな衰退著しかった大学で最期の華と言えるべき一大イベントが開催された。
天下一武道会である。
当時、私の大学に新日本プロレスの元レスラーが体育の非常勤講師で教えていた。
教えていたのは当然、レスリングだ。
毎年、10月になると体育祭が開催されるのだがレスリングも種目にあった。
階級別のトーナメントなのだが学生たちはこれを「天下一武道会」と呼んでいたのだ。
5万人を超える学生の中でも腕っ節に自信がある猛者たちが集まり己の腕を競い
誰が一番強いのか?
これを競ったのである。
高偏差値とは裏腹にあの大学は馬鹿野郎だらけだった。
私はこれに大いにショックを受けたのだが一方で意外な一面を知ることになった。
腕っ節に自信がある輩が異様に多いのである。
語学のクラスで一緒になったK君は背は170cmくらいしかなかったがゴツゴツの筋肉質だった。
聞けば5歳から空手をやっており正道会館三段と言う。
モノは試しと腕相撲を挑んだのだが利き手でない左手に両手で挑んで2秒持たなかった・・・
他、Yの音楽友達だったと思うが高校柔道で国体出場の猛者も居た。
他、F氏の友達にライセンスを持ったボクサーが居たしやはり柔道の猛者が居た。
私は緩い映画系サークルに所属していたのだがそこに猪木の物真似を得意とする優男の先輩が居た。
流石にこの人は強くないだろう、と高を括っていたが或る日の飲み会で身長180cm近い別の先輩を僅か数秒で卍固めをかけて落としてしまった・・・・
酔っ払った状態で・・・・
聞けば週一の割合で地元の体育館を借りて学生プロレスに励んでいるのだと言う。
私以上に痩せ型で小柄のYですら特技は懸垂で100回以上こなせてしまうのである。
空手サークルは100以上あり群雄割拠の様相を呈していた。
私のゼミの友人が空手サークルに所属しており夏期休業はサークルの山篭り合宿に参加していた。
血尿が出るまで己の肉体を鍛錬するのだと言う。
当時、彼のやっていたバイトが歌舞伎町にあった闇カジノでの用心棒と言えばその腕の程が分かるかと思う。
挙げだしたらキリがない。
天下一武道会・・・・・
その昔、ジャンプ黄金時代に熱狂した私の耳にこの響きはかくも強烈である。
男なら一度は出てみたい・・・
されど・・・出場者のレベルの片鱗を知ってしまった・・・
どうすべきか!?
〜〜〜〜〜
1999年の5月、私は新宿の戸山公園で日々カンフーの修行に精を出していた。
なぜ?
愚問だよ。
大学唯一のカンフー・サークルの幹事長は言う。
基本的にカンフーは何でもありだ。
一人対複数もありだし武器を持ってもありだし金的もありだ。
これを私は勝つためには何をしてもいい
こう解釈した。
天下一武道会の審判は元新日関係者である。
>反則は5秒以内ならOK
これは猪木も認めるところだ。
だからアクラム・ペールワンの目に指を入れたんだろう。
何てえげつない・・・・
だが
>正義、不正義などはどうでもよい!
勝った者が正義なのだ。
歴史とはそういうものだ。
という訳で保険としてプロレス研究会にも入っておいた。
しかしさしもの私もチャイナドレスを着た結構可愛い女子大生と寸止め組み手をしている最中に頭の中に何かが過ぎった。
「こんなことしていて本当に強くなれるんだろうか?あの天下一武道会で闘えるのか?この子はカンフーを習いたいって言うけど本心では春麗になりたいんじゃないのか?」
周りを見渡して見るともう一人、人民服を着た地味目の女子大生がいた。
ゴダールの中国女みたいだった。
彼女の持ってる紙袋には「横浜中華街」と書いてあった。
サモハン・キンポー似の小太りのおっさんもいた。
彼の特技は「モハメド・アリのステップ」だった。
太ってるくせに蝶のように軽やかに舞うのである。
ジェームズ・ボンドに憧れていた私が形から入ったことは素直に認める。
しかしカンフーを練習する私は決してチャイナ服など着なかった。
黄色のトラックスーツなど勿論である。
そう、私はコスプレではなくシュート(真剣勝負)を習うつもりだったのだ。
だって天下一武道会に出たかったんだもの。
正直、他の部員よりも遥かにタチが悪かった。
その年の6月、私は持病の5月病をこじらせて戸山公園を後にした。
〜〜〜〜〜
10月になった。
件の勉強サークルの先輩が体育祭に出ようと誘ってくれた。
私は無碍もなく断った。
天下一武道会に出られない体育祭なんてちっとも面白くない。
当日は大学にも行かず下宿に引き篭もって猪木VSレフトフック・デイトンのビデオを観ていた。

予定通り猪木は勝ったが妙にむなしかった。
私がF氏に天下一武道会に出たかった云々を話したら
「やめて正解だったよ。下手すると君は殺されていたぜ?」
と一笑にふした。
Yも然りだ。
「出ておけば良かったのに」と言ってくれたのは重度のプロレス・オタクだったO矢君だけである。
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後期テストが始まったので私は渋々大学に行った。
イチョウの葉も枯れ落ち肌寒くなった大学構内は冬の到来を感じさせたがそれ以上の何かがあったように思う。
そう、輝ける20世紀もそろそろ終わると言うことだ。
映画系サークルの先輩に会った。
右手を包帯で肩からぶら下げていた。
ダイビング・エルボー・ドロップにしくじったのだと言う。
さもあらん。
名誉の負傷だが就活はどうするんだろう?
後期テストの情報が知りたくて学部の掲示板の前に行ったら先に開催された体育祭の結果が貼ってあった。
せっかくだから一応、見てみた。
レスリング、つまり天下一武道会の結果を見た瞬間私の身体に激震が走った。
稲妻に打たれたみたいに。
1.21ジゴワットはあったと思う。
1998年の5月に取り組んでいた次元転移装置が完成していたらタイムスリップ出来ていたのに・・・・
78kg級の覇者はUさんその人だった
一瞬、同姓同名かとも思ったが珍しい苗字だし学部も学年も一致している。
間違いない。
この人はなんとカッコいいのだろうか・・・・
本当に脱帽した・・・
滅多に人を褒めないF氏が崇拝していた理由がやっと分かった。
ハンサムで弁が立ち頭が良くてお洒落で・・・・何より並み居る強豪を全て粉砕し天下一武道会を制したのである。
だが非常に控えめであり腕っ節の強さなど微塵も誇示しなかった。
だって私より仲が良かったF氏だって知らなかったんだから。
異性にモテて当然である。
女の子は誰だって彼氏になりたいさ。
何より確かなことはあの頃、この国の男子には「カッコいい」が雄弁に存在していたのである。
デヴィッド・ワッツみたいになりたいよ
デヴィッド・ワッツみたいになれたらな
あんな男になってみたい
デヴィッド・ワッツに、憧れてるんだ
今でも・・・・・
終わり