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最初のさとり世代

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今時の主婦感覚

前回の記事で

>1979年生まれを「ゆとり第一世代」とするか「(つめこみ)団塊ジュニア最期世代」とするか難しいのだが「狭間世代」とするのが適当かと思う。

と書いたのだがどうも皆の認識は違うようである。
とくにゆとり世代に関しては。
以下ウィキペディアからだが

>ゆとり第一世代を1987年4月2日-1988年4月1日生まれとした場合の、ゆとり第一世代の成長の過程を下記に示す。

う〜ん・・・
この定義だと前回書いた今時の専業主婦の子はさとり世代ではなくゆとり世代になってしまう。

>ただし、1992年度以降に実施された学習指導要領もゆとり教育だとの声もあり、解釈によっては30代も含まれると書かれている

私はこっちを支持するね。
私が高校受験を受ける年から埼玉県では北辰テストってのが廃止されたから。
理由?
脱偏差値教育だよ。
点数至上主義からの脱却、学力至上主義からの脱却。
実際の話、中学2年から成績表がテストの点数だけでは決まらなくなってる。
授業態度とか意欲とかで決まるんだから。
もう滅茶苦茶。
内申書悪いと公立だと希望の高校受かんないんだから。
いくら試験の結果が良くても。
だから一般受験は激減し推薦入試だらけ。
実際にはほとんど無試験だよ。
で、学校は北辰テストを廃止したが一般受験組はこれを受けないと自分の偏差値や志願者の中での位置が分からないからお金払って校外で受けると言う。
ホント、意味ない。
ゆとり以外の何ものでもないでしょ?

高校時代も上の世代と一線を画して居たんだがこれは過去にも書いたと思う。
簡単に書けば女子はスカート丈が短いか長いか?
男子は力の信奉者からモテの信奉者への移行だ。

大学に入って更に痛感したんだが我々、つまり79年世代とその上、78、77、76、75年世代ってのは全然違うから。
例えばファッションなんだけどなぜか上の世代は

ジャケットを羽織ってる輩が結構いたのよ

ジーンズにジャケットとかチノパンにジャケットとか。
なぜか分からんけど大人ぶってたんだと思う。
この漫画を読めば出てくるよ。

東京大学物語 (1) (ビッグコミックス)クリエーター情報なし小学館

髪型、真ん中わけも然り。
基本的に真面目。
つめこみ教育とか管理教育受けてきたから。
学問の信奉も我々よりあったしね。
上昇志向もあってブランド志向も高い。
それは我々もそうなんだけど我々よりも高かった。
O矢君ってのが私の友達にいたんだけど学年は同じでも彼は二浪していたから兄と同じ、77年世代。
他にYやF氏ってのがいたんだけどこの2人は同じ79年世代。
O矢君だけやっぱり違っていたよ。
例えばブランド品でもYもF氏も実際にはどうとも思ってなかった。
単にお洒落アイテムとして女の子受けが良いから着ていただけ。
当時のユニクロなんて全然駄目駄目でそれなりにお金払わないとお洒落な服はなかったから。
実際の話、最初会った時のF氏のファッションはほんと垢抜けなくていただけなかった。
髪型とファッションセンスをそこそこにしてモテキャラになったんだ。
一方、O矢君は女の子がどうとかそんなんじゃなくて’ステイタス’としてブランド品を身につけていたから。
シルバー925のジッポーライター、アルマーニの腕時計、アルマーニのスーツ・・・ピカピカ輝く銀歯ですらステイタスだったのでは?
と思う。
私?
中間だと思う。
ブランド品って言っても中古の安いのばっかだったから。
O矢君はブランド信奉者だったけど78年より上の世代って男女とも地味な輩はとことん地味なの。
もう怖いくらい服装に無頓着で。
その辺も特記しておきたい。
話を学問に戻すけど我々は学問ってか学歴とかそんなもんがもはや大して力を持っていないってことを即理解した。
ってか自分達が二流の存在に転落したってことも即理解した。
周りを見たら明らかだよ、大学なんてもう全然活気なかったから。
かと言って勉強に打ち込む場としても微妙なんだよ。
講義なんてどれもこれも実社会に出て役に立つとは思えなかったし。
実際の話、全く役に立っていない。
だから我々は大学から離れていったわけで。
だけどO矢君だけは違うの。
彼もアホではないから「日本の虚構」には気付いて登校拒否になった。
でも2年目からは心を入れ替えて真面目に講義に出ていたよ。
一方、YとF氏は辞めちゃった。
私?
中間だと思う。
学校には行かなかったけど試験は受けてしっかり単位は取っていたから。

>そうです、政治は中道を行かなければなりません

O矢君は喫煙者だったしお酒が大好きだった。
人が大勢集まる席も。
一方、私もYもF氏もタバコを吸わなかった。
お酒はたしなんだが決して好きではなかったし飲み会の類を蛇蝎のごとく嫌っていた。
O矢君だけでなく先輩連中は男女問わず喫煙者は多かったし酒好きも然り。
O矢君はギャンブラーだったがYもF氏も賭け事には全く興味はなかった。
自動車など乗り物に関してもYやF氏は全く興味がなかった。
一方、O矢君は好きだった、特に高級輸入車が。
O矢君はバックパッカーだったので海外旅行が大好きだった。
モロッコ、チュニジア、インド、マレーシア、タイ、ラオス、カンボジア・・・10カ国くらい行ったと思う。
一方、Yは語学留学でアメリカに行っただけだし私は卒業旅行でO矢君とタイに行ったくらい。
F氏に至ってはどこにも行っていない。
何が言いたいかと言うと前に紹介したこの本。

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たちクリエーター情報なし東洋経済新報社

この本では嫌消費世代を1979年生まれからとしているがこれは正しいと私は思う。
上の世代に比べて明らかに物欲が低く財布の紐もきついからである。
車、酒、タバコ、ブランド品、海外旅行・・・・
〜離れと言う現象も我々世代から顕著に出始めていたと言う訳だ。

前回の記事で

欲しがらない若者=嫌消費世代=さとり世代

みたいな書き方をしたのはちょっとまずかった。
確かに大いにかぶっているのだが微妙に違うと言えば違うからである。
と言うより

〜世代

としてひとくくりにするのは難しい。


氷河期世代
1970年-1986年

ポスト団塊ジュニア
1975年-1982年

 ↓

ゆとり世代
1987年-

 ↓

さとり世代

となる訳だが1975年生まれと1982年生まれを同じくくりにするのは相当無理がある。
1970生まれと1986年生まれなんて滅茶苦茶だ。

私の区切りはこうだ。

? 1970年−1978年 団塊ジュニア世代

? 1979年 狭間世代

? 1980年−1985年 ゆとり世代

? 1986年〜 さとり世代

何度も書いて恐縮だが私は?の世代と大いに世代間ギャップを感じてしまう。
子供の頃はそうではなかったんだが大学に入ってはっきりと感じた。
それは高校時代に大きな革命があったからだと思う。
それは情報ツールの登場であり高校生カルチャーの隆盛だろう。
情報ツールに関しては兄の世代にもポケベルはあったのだが所有率は低かった。
広末涼子がドコモのCMに出演して注目を浴びたのは1996年である。
兄は一浪しているので大学での学年は1つ上なだけだが高校生活よりも大学生活を謳歌している。
恋愛、クラブ、海外旅行、スノボ、サーフボード、バイト・・・・・
90年代後半の若者文化をほとんど体験したと思う。
一方、我々は微妙なのである。
と言うのは上記、若者文化は1995年にはほとんど高校に降りていたから。
これに乗れたか?乗れなかったか?
これが我々1979年世代の明暗を分けたと私は確信している。

〜〜〜〜〜

1998年の5月に当時、所属していた政治系勉強サークルで政治家の講演会を行った。
会場の後片づけを終えた私とF氏は打ち上げまで少し時間があったのでまだ新歓気分が残る大学でサークル部室巡りをすることにした。
2つ目のサークルだったと思うが校舎の屋上に向かう階段の踊り場に机と椅子を並べて部室にしていた。
我々と同じ1年の男子学生が一人で本を読んでいた。
髪型はパーマがかかっており軽いB系って感じだった。
話しかけたらかなりフランクで気さくだった。
軽い外見に反して読んでいた本は難しい哲学書だった。
サークル自体はオールラウンド系、つまり遊びサークルなんだがなんていうか彼はちょっと冷めた感じなのだ。
気さくで明るい。
されど冷めた感じ・・・
分かるだろうか?
聞けば高校時代にDJを始め都内でイベントを幾つか開催していたと言う。
90年代半ばは高校生主催のパーティが結構あったから。
ここ埼玉ですらあったんだから。
今でも続いているモッズ系のイベントもそうだよ。
あれは元々高校生が始めたんだから。
私は彼を見て、さもあらん、と思った。
彼は高校時代に我々の上の世代が大学でやるようなことを全てしてしまったのである。
ゆえに冷めた感じであり難しい哲学書なんか昼間から読んでいたのである。
DJだとかイベントだとかの類も興味を失っているようだった。
色々話したのだが隣のF氏は明らかに無理して話を合わせていた。
福井の田舎育ちのF氏がDJだとかパーティーだとか分かるわけがないから。
時間になったので私とF氏は講演会の打ち上げに行った。
だが・・・これがこのサークルの飲み会に出た私の最期だった。

私は大学で何かやるのは当時の言葉で言えばイケテないんじゃぁないか?って察知したからである。
確かに・・・私は自分の高校の華やかさを知っている・・・あの時周りではっちゃけていた連中が大学に入って何かやるのか?甚だ疑問に思った。
まぁ私の周りではっちゃけていた男子学生は皆、大学受験に失敗したんだが・・・仮に受かっていたとしても彼らが新たに何かをしたとは思えない。
思い出してみるに当時、周りを見回して同期ではしゃいでいたのは田舎の進学校出身者だけだった。
都心の進学校出身者はほとんど冷めていた。
時代の流れを読めていたんだろう。
いや、都内の女子高出身者で一人やたらはしゃいでいる女子学生が一人居たんだが彼女は自覚症状があり
「私は高校時代、一人で浮いていた」
と公言して憚らなかった。
そうそう、件の勉強サークルの同期にやたら可愛い、ほとんど紅一点の女性がいて私は新歓コンパの頃から気になっていた。
気になっているというより大好きだった。
その女の子と二人で食事をしたのは確か6月半ばだったと思うが新入生にしてはやけに落ち着いていた。
否、やはり冷めていたと書くべきだろう。
周りの男子学生を評して
「坊ちゃん坊ちゃんしてる」
って言ったんだから。
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている私の耳にこの言葉は痛かった。
彼女は一浪しており一つ上、つまり78年生まれだったんだが他の新入生連中が連日馬鹿騒ぎに興じているのに一切乗らなかった。
だから私は心惹かれたんだろうが・・・その大人っぷりは驚きであった。
食事を終えた彼女は
「勉強の続きをするから」
と言って学校の図書館に向かったのだった。
我々二人が二度と人間交差点で交わらないことは明白であった。
街を歩けば彼女とたった2、3しか年が違わない女子高生が若さに準拠した比類なき華やかさと元気の良さを周囲に誇示していた。
男子高校生も然りで我々の頃より明らかに垢抜けて洗練されていた。

同じ頃、私は実家に一度帰省した。
久しぶりに中学の同窓連中に会ったのだが相変わらずの馬鹿っぷりだった。
村一番のどら息子、Iの自動車購入記念パーティが村の集会所の駐車場で地味に催されていた。
念願の初愛車は悪趣味の極み、真っ赤なシボレー・カマロであった。
大学受験に滑った浪人生の分際で高額な輸入車を乗り回す・・・・
これが許されたのが良くも悪くも黄金の1990年代と言えよう。
が・・しかし、そこに居合わせた制服を着た現役女子高生2人組が可愛くなかったと言えばこれもまた嘘になるだろう。
カマロは代わる代わる試乗され・・・私に酷評され、曰く、「全体的に大味だ!」されどIは後部座席に女子高生2人を乗せ、颯爽とルート254に消えていったのだった。
「あばよ、馬鹿ども〜」
いかにも1998年らしい光景なのだが私は羨ましさと同時に何かの終焉を察知せずにおれなかった。

同じく中学の同窓のムックは専門学校に進学していた。
専門学校自体は小規模だったらしくサークルの類はなかったと言う。
制服じゃなくなった高校みたいなもんだったらしいのだが早速、同じクラスの女子数人が「今度、飲みに行こうよ!」って誘って来たんだがこれに全く乗らなかった。
高校時代のあいつなら絶対に乗ったはずである。
後で聞いたら良く分からんがそっち関連はちょっと冷めていたらしい。
これは当時、一緒につるんでいた専門の友人もそうだったと言う。
私が
「高校時代にやりつくして、今更、だせーって思ってたんじゃないの?」
って言ったら
「それもあるかも知れない」
だって。
ムックは美味しい高校生活を謳歌した訳だがこれに全く執着していない。
乗った人間よりむしろ乗れなかった人間ほど高校時代を懐かしがり大切にしている。
私がそうだしチャッキーも然り。

何でもそうした傾向はあるんだが遊び、特に恋愛がらみのことは男女とも先に経験した者が美味しい、だけでなく賢い。
なぜなら男女とも経験したら必ず冷める、否、落ち着くからである。
何より恋愛とは男女とも他者に対する優越感に過ぎない。
先に経験した者は優位に立てる。
それは時代や洋の東西を問わず。
昨年、私が激賞したこの映画も然り。

17歳の肖像 コレクターズ・エディション [DVD]クリエーター情報なしソニー・ピクチャーズエンタテインメント

嘗て大人とはこうした「落ち着いた人間」のことを指した。
私、Y、F氏が痛感したのはこれだろう。
だが上の世代はこれがほとんどないのだ。
なぜなら高校生活はまだそれ程美味しい存在ではなかったからである。
兄は私と同じ高校で人気者だった。
女子の友達も多かったのだが特定の恋人はいなかった。
もはやほとんど死語だが’グループ交際’みたいなの。
これがつめこみとゆとりの差だと私は思う。
勉強一辺倒の時代は学業をおろそかにして恋愛する奴=落ちこぼれって認識が強かった。
確かに男子は学業と恋愛や遊びを両立させることは難しい。
なんせ部活と両立させることも難しいんだから。
だが・・・就職氷河期が到来し学歴神話が崩壊すると一気に説得力を失って行く。

高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay (ペーパーバックス)中野 雅至光文社

ってか経済的な豊かさを第一と考えない輩が増えてきた時点で学歴は往時の力を失っていく。
その一方で学業との両立をうまくやってのけた輩も多々居たわけだ。
特に女子は。
正直、両者の差は歴然としていたと私は思う。
こうした連中が多くなって来るのが私の世代からであり下の世代になるともっと多くなる。
なぜか?
一つは情報ツールが当たり前になったからでありもう一つは誰もが高校時代の重要性に気付いたからである。
大学なんて大したことない。
やるのは勉強と就活だけだ。
社会人などもっとつまらん。
だったら今のうちに遊んでおこう。
大学なんて何時でも入れるが高校はそうではない。
これが正解だ。

1999年に大学に入ってきた新入生はそれまでの新入生と明らかに違っていた。

初々しさがほとんどなかった

からである。
誰もがこ奇麗で垢抜けており器用だったが冷めていた。
サークル加入率は激減しどのサークルも新入生獲得が困難になっていた。
当然と言えば当然の話でもはや就職以外のことで学生を引き寄せることは出来なかった。

遊び?

恋愛?

そんなことはとっくに経験済みさ。

友達?

高校で作ったさ。

実際の話、私や上の代と違って下の世代はみんな大学の講義にしっかり出ていたのは大いに驚きであった。

>? 1980年−1985年

この世代である。
高校生活を謳歌できたならこの世代の人間は男女とも強者だと私は思っている。

若者の〜離れで上の世代にもっとも不可解なのが

恋愛離れ

なり

セックス離れ

であろう。
草食男子も然り。
私も最初は不可解だったが過去を振り返ったらさして驚かなくなった。
2000年頃にはこうした若者、ほとんど男子大学生だが雑誌か何かで採り上げられていたから。

>彼は高校時代に我々の上の世代が大学でやるようなことを全てしてしまったのである。
>ゆえに冷めた感じであり難しい哲学書なんか昼間から読んでいたのである。

彼がそうだしムックもそう。
ムックは専門の頃に後輩の彼女と自然消滅的に別れてそれっきりなんだよね。
特定の恋人は持たなかった。
「持てなかった」じゃなくて「持たなかった」。
全く色恋沙汰をしなかったってことはないんだがまぁ冷めてる。
高校の文化祭で女装してはっちゃけた彼とは別人みたいに。
「高校卒業したら残りの人生なんて消化試合だよ」
って。


長くなったが結局、これが「真のさとり」なんだよ。

執着を絶つ

これがさとりの境地だし男女問わず何の執着が一番かってそりゃ異性に関することでしょ?
18,9でこの境地に達しちゃったんだから大したものだよ。
ま、厳密には完全0ではないだろうが恋愛や異性に対する’スタンス’とか’アティチュード’とか。
もう全然違う。
全く有り難がらないが軽んじないと言う。

でも今のさとり世代とは違うっちゃ違うだろうね。
彼らは若くして快楽を散々経験してさとった訳だから。
それは王家に生まれたお釈迦様とて同じ。
今東光とか瀬戸内寂聴とか五木寛之とかみんな俗中の俗物だったんだから。
現世の快楽を嫌と言うほどむさぼってその反作用の苦しみもまた沢山味わってさとりの境地に達している。
一方、今のさとり世代は快楽も苦労も経験なんてほとんどないから。
いや、快楽なんて経験したくもない、ってのもある種のさとりだと私は思うよ。

私?
当然、もうさとりの境地に達してますよ。
昨年からこれを始めたから。

新・片づけ術「断捨離」クリエーター情報なしマガジンハウス

車いらん。
バイクいらん。
衣類いらん。
ブランド品いらん。
蔵書いらん。
CDいらん。
ガラクタいらん。

仕事とお金はほどほど。

おっと、もうこんな時間、ブログなんて更新している場合じゃない。
後輩から着たメールにお返事しないと。

終わり

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