私は埼玉県下でも有数のエリート養成高校(※ 女子の卒業生の9割が現代の特権階級たる専業主婦になれる)の特待生(※ 無断遅刻・無断早退・ディッキーズの黒いチノパン・ドクター・マーチン可・身体に合っていない学ラン免除)だったので高校時代、周囲に「自由と個性を履き違えた」アホや「自分探し」にハマるバカは一人も居なかったが大学に進学すると自意識過剰の間抜けが周囲に溢れ返って居た。
そもそも大学自体が二流の地位に転落して久しかったのに予備校の偏差値という定規でしか物事を測ることが出来ないので無駄にエリート意識が強く本当に片腹痛かった。
就職氷河期に突入して久しくもはや有名大学だからといって就職の保証はなかった。
連中もそれに気づいていた。
だが、社会に出ても
自己実現
を通して
自己顕示
をやりたくて仕方ないわけ。
普通に就職してサラリーマンだと無理だからミュージシャンとか俳優とかデザイナーとか芸能界に矛先を向ける訳だ。
会社員だと広告代理店とかテレビとかCM制作とか雑誌編集とかまぁクリエイティブな仕事ね。
確かに受験勉強を勝ち抜いたってこともあって連中はそれなりの頭はあるんだよ、教科書に載っていないムダ知識も多いし。
楽器演奏は勿論、歌も上手いし、作詞作曲出来る輩なんて掃いて捨てるほど居たから。
俳優志望の連中の演技もそれなりってか上手い輩はかなりのレベルだったと思う。
少なくともキムタクとか福山なんかよりは。
だが・・・
芸能界は実力じゃなくて運の世界だから
上手くても才能あっても芽が出なくて消えて行った輩なんて掃いて捨てるほど居るから。
いわんや才能のない輩をや、基本のきの字のない輩をや。
一番酷い輩は大して面白くもないのに芸人になろうとして吉本の叩いたり、M1の触発されたからか漫才コンビ結成しちゃったから。
当時の周りで最も無駄にプライドが高かった二人だがホント、救いようがない。
あの世界は大成どころか一人で食べられるレベルになるのもラクダが針の穴を潜るくらい確率低いから。
そこそこ有名な輩でも芸だけでは食べていけないから普通に交通整理のバイトしてるから。
あと夜の世界とか。
当時と言うか社会人になってからもそうだがそういう輩がある種のシンパシーを感じて私に接近してくるんだが勘違いも甚だしい訳で。
恐らくファッションとか言動とかキャラが立っていていかにもって雰囲気を醸しているからだと思うが私は超がつくほどの現実主義者で、別に夢追い型の人間ではない。
自分探しもしてないから。
自分探しは高校2年迄で終わってまして、高3の春から予備校通って受験勉強を始めた時点で
身の程を知った
から。
受験勉強中もマメに模試受けて(机上の学問の世界でだが)
自分のランク
これも分かったし。
異性関係もほとんどモテなかったし。
高校大学時代の恋愛なんて周囲と比較してショボイの何のって。
兎に角
結果が全て
だから。
男女とも18歳過ぎたら抜本的には変わらないし大きくは伸びないから。
しかし・・・バカはそれ分かんないから
自分探しをすることでどんどん自分を見失っていく
で、大枚払って怪しげな自己啓発セミナーに通ったり、(質素と称し)実際は大枚払って海外にバックパッカーに行きまくったり、語学留学に行ったり、スーパーカブに乗って全国一周を企てたり、青春18切符で風まかせ旅したり・大枚払って就活セミナー合宿行ったり、小難しい哲学書とか自己啓発本読みふけったり・・・
己の感性の低さをこれ以上ないレベルで露呈してる。
なぜならば、まともな輩は
別に環境を変えずとも普通のありふれた日常生活の中で自分の才能や特質を消化できるし、そこにこの上ない幸福を感じることが出来るから
普通の生活 (角川文庫)景山 民夫角川書店
まぁ私とて大学時代、当時の友人のF氏と青春十八切符でみちのく二人旅をしたんだが別に自分探しでもなんでもなかったから。
ほとんど食べ歩き
ひたすらグルメ。
宇都宮で餃子屋ハシゴとか喜多方でラーメン屋ハシゴとか。
非モテ系の私だったが一度だけ女の子と温泉旅行に行ったことがあって旅行中ずっと何してたか?
言うまでもないでしょ。
いつやるか? 今でしょ!林 修宝島社
↑ 鬼の汎用性
共通単語なんてほとんどないし価値観も全く違う生き物だから話しても1mmも面白く無いってか腹立つだけだから。
間がほとんど持たん。
もっと書くがこの子はあれ意外何ら褒めるべき点がなかった。
それ以上でも以下でもない。
本人は自分は学があると思い込んでいたがむしろ邪魔でその薄っぺらい知識と考え方が大いに勘に触った。
まぁ抱くに値しただけでマシだったとその後思うんだが。
いずれにせよ、美味い飯食って眩いスケ抱けたら幸せなんだよ、私は。
ってか人間なんてそんなもんだよ、
何をカッコつけて上品ぶってるんだよ貴様達は?
この際だから書くがスタイルとしてモッズ・ファッションを選んだのは積極的じゃないから。
私にとって逃げのファッションなんだよ、あれは。
90年代半ばは盛り上がっていたけど別に主流ではなかったから。
あくまでサブ、メインは別、ギャル系とかキレイ系とかB系とか。
やっても私似合わんもの。
女子も然りで
個性的なファッションは現実逃避
奇抜なファッションは最後の砦
だから。
今もそうだと思うが当時のモッズシーンはそんな女の子だらけだったように思う。
外見、モンキーで中身はステフみたいな。
決してモダン・ギャル、’現代的な女の子’じゃない。
都会的な女の子、否、アバンギャルド。
モッズファッションに限らず奇抜や個性が現実逃避型のファッションだって話はやっていた本人が一番分かっていて最近読んだこの書籍に怖いくらい赤裸々に書かれていた。
女子をこじらせて雨宮 まみポット出版
同じ世代の男性が書いたこの書籍と併せて読むともっと良く分かる。
ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争松谷 創一郎原書房
興味ある方は一読されたし。
で、私はギャルってかギャル風味の普通の女の子がタイプだったんだが現実には一部の不思議ちゃんと言うか地味、ゆえに一般の土俵で勝負出来ないので少し奇抜な盛り方で体裁を保っているような輩しか縁がなかった。
その理由が今では分かるが、ある種、女の恋愛カーストと思う。
つまり
この男は決して世間一般の言うカッコいい男ではない
経済的に裕福とも思えない
取り立てて性格が良いとも思えない
将来出世するとも思えない
周囲に自慢できる訳はない
だが・・・
どのカーストにも属していない
それは私とて然り。
なぜなら狙ってそうなったんだから。
彼を見かけたらきっと周りの輩はこう言うだろう
君 らしい ね・・・
女という生き物は良くも悪くも自分より格上の男しか興味を持たないしアプローチして来ない。
つまり、自分より 変な人 の烙印を押して己の 変 を埋没させようとする。
私は綺麗じゃない、つまり白くない、何かしらの色に染まっている。
黒ではないがグレーだ。
でもこの人は真っ黒だ。
私の色も埋没するだろう。
残念ながら大間違いだよ。
黒に埋没できるのは黒だけだ。
中途半端に淡麗色は逆に目立つ。
もっと言えば本当の私は滅茶苦茶神経質で几帳面な性格でつまり極めて真面目な常識人だからである。
私が一般人の100倍優れているのは
感受性 sensitivenesssensitivity
であり 感覚 sense の意味する所は
常識 common sense
と言うわけだ。
〜〜〜
21世紀に突入した2001年の初頭にはF氏もYも大学を辞めており音信不通になっていた。
繋がっていたのはO矢君くらいだったがそろそろ大学4年でありそう、就職活動と言うダメ押しの「自己実現」と「自分探し」が待ち受けていた。
とっくのとうにDTではなかったし色んな意味で私は「自分が何者であるか?」誰よりも理解しており今更面達とか読んで自己分析するのはバカバカしくてバカバカしくてお腹が痛くて痛くて捩れて椎間板ヘルニアになりそうだった。
とんでもない健康被害だよ、マジで。
場合によっては弁償もんだぞ!
ちなみに椎間板ヘルニアにはなったことはない。
で、周囲の連中みたいに
夢を追うと称して厳しい現実から目を背け就活をしない
というのもかなりみっともなかった。
そう、AとBどちらに転んでも駄目な訳である。
対馬丸状態だよ。
沖縄に米軍が上陸してくるという。
女子供は本土に逃げねば。
疎開船で鹿児島に向かって航海に出るが連合艦隊は壊滅しており護送船団など組めない。
よって米軍の潜水艦に撃沈されて海の藻屑に消える。
生き残った者のほとんどは安全な鹿児島ではなく直ぐに鉄の暴風と化す沖縄に流されるのだ。
何が言いたいか分るよね?
ロストジェネレーション―さまよう2000万人朝日新聞「ロストジェネレーション」取材班朝日新聞社
当時の私は大分テンションが低く無駄にポジティブで元気なO矢君に会うとジミーの幼馴染のロッカーみたいなことを言いまくっていた。
アルバイトだけはちゃんとしており、ってかしないと生活できなかったので正直渋々やっていた。
東京某区にあった小さなシンクタンクの使いっ走りだったんだが広告業務も請け負っており大手広告代理店に書類を届けたり受け取ったりしていた。
寒かったんでモッズコート着て。
当時の愛車はランブレッタだったんでこっちは本当にジミーみたいだった。
中略
こうして今の私がある。
ジミーは労働者階級だったので上司に逆切れして辞めずとも一生、使いっ走りのままだっただろう。
イギリスとはそういう国である。
だが、ここは日本であり、正真正銘の希望と栄光の国、運と素質とそこそこのルックスさえあれば何にでもなれる、1960年代のイギリスよりは遥かに労働者の流動性があった訳だ。
一番ダメだった頃が今の私を繋げた訳だから本当に世の中は何が幸となり難となるか分からん。
重要なことは
トライし続けること
である。
〜〜〜
君はテレビの仕事がしたかったんだってね? then you!
君はCMプランナーになりたかったんだってね? used be!
だって君は誰よりも個性があって面白くて既成の価値観なんてぶっ壊すくらいの規格外の人間、でしょ? is't you?
今でもそうだよね? now?
だからブログ書いたり自分のHP作ったりTwitterやってウェブ上でも凡俗な一般人に向けて自己顕示しまくっている。
ハラショー、実に素晴らしい!!
本当に本当に君は面白い!!!
君がこれまで歩んできた道のりは本当に興味深いし君の日常生活は毎日毎日、本当にドラマチックだよ、映画にしたいくらいだ。
バーカ
〜〜〜
映画「さらば青春の光」のメッセージは沢山ある。
1つは繰り返すが
上を見るな 身の程を知れ
だ。
お前はどう足掻いても俺(ピート・タウンゼント)にはなれないしレイ・デイヴィスにもなれない。
故に
日常に帰れ
ありふれた日常の普通の生活の中で人としての幸福を見つけろ!
些細なことを些細なこととして片付けるな、そこに何かしらの価値を見い出せ!
借り物ではない
自分自身の物差しを持て
もっとも重要なことはどんなに嫌なことがあっても
生きろ!
絶望は愚者の選択であり決して自殺なんかしてはいけない。
このメッセージは三國連太郎の代表作となったこの映画でも強烈に感じたことだが
飢餓海峡 [DVD]三國連太郎,高倉健,伴淳三郎,左幸子,三井弘次東映ビデオ
ピート・タウンゼントが黄金の60年代が終焉して直ぐに四重人格の制作に取り掛かったのはある種の贖罪意識が芽生えたのでは?
と私は思う。
My Generation (Mono)Universal UKUniversal UK
I hope I die before I get old
俺は歳をとる前に死にたい
むしろこの曲か・・・
自分の行きたいところへ行く
やりたいことをやる
生きたいように生きる
ザ・フー コンプリート・クロニクル1958-1978 ~エニウェイ・エニハウ・エニウェア佐藤幸恵,白井裕美子シンコーミュージック
歌詞の一部はロジャー・ダルトリーが書いたといわれるがここで歌われているのは自己実現ではなく
自己決定権
である。
だが・・・・
自己決定権は幻想である (新書y)小松 美彦洋泉社
自己実現であれ自己決定権であれ、
個人の自由意志を駆使して生きる
そんなたいそうな生き方が許されるのは今も昔も私を含め神に選ばれた極々少数の限られた輩だけだ。
君たちみたいな凡人がそんな生き方を実践しても必ず不幸になるよ、brother!
終わり
そもそも大学自体が二流の地位に転落して久しかったのに予備校の偏差値という定規でしか物事を測ることが出来ないので無駄にエリート意識が強く本当に片腹痛かった。
就職氷河期に突入して久しくもはや有名大学だからといって就職の保証はなかった。
連中もそれに気づいていた。
だが、社会に出ても
自己実現
を通して
自己顕示
をやりたくて仕方ないわけ。
普通に就職してサラリーマンだと無理だからミュージシャンとか俳優とかデザイナーとか芸能界に矛先を向ける訳だ。
会社員だと広告代理店とかテレビとかCM制作とか雑誌編集とかまぁクリエイティブな仕事ね。
確かに受験勉強を勝ち抜いたってこともあって連中はそれなりの頭はあるんだよ、教科書に載っていないムダ知識も多いし。
楽器演奏は勿論、歌も上手いし、作詞作曲出来る輩なんて掃いて捨てるほど居たから。
俳優志望の連中の演技もそれなりってか上手い輩はかなりのレベルだったと思う。
少なくともキムタクとか福山なんかよりは。
だが・・・
芸能界は実力じゃなくて運の世界だから
上手くても才能あっても芽が出なくて消えて行った輩なんて掃いて捨てるほど居るから。
いわんや才能のない輩をや、基本のきの字のない輩をや。
一番酷い輩は大して面白くもないのに芸人になろうとして吉本の叩いたり、M1の触発されたからか漫才コンビ結成しちゃったから。
当時の周りで最も無駄にプライドが高かった二人だがホント、救いようがない。
あの世界は大成どころか一人で食べられるレベルになるのもラクダが針の穴を潜るくらい確率低いから。
そこそこ有名な輩でも芸だけでは食べていけないから普通に交通整理のバイトしてるから。
あと夜の世界とか。
当時と言うか社会人になってからもそうだがそういう輩がある種のシンパシーを感じて私に接近してくるんだが勘違いも甚だしい訳で。
恐らくファッションとか言動とかキャラが立っていていかにもって雰囲気を醸しているからだと思うが私は超がつくほどの現実主義者で、別に夢追い型の人間ではない。
自分探しもしてないから。
自分探しは高校2年迄で終わってまして、高3の春から予備校通って受験勉強を始めた時点で
身の程を知った
から。
受験勉強中もマメに模試受けて(机上の学問の世界でだが)
自分のランク
これも分かったし。
異性関係もほとんどモテなかったし。
高校大学時代の恋愛なんて周囲と比較してショボイの何のって。
兎に角
結果が全て
だから。
男女とも18歳過ぎたら抜本的には変わらないし大きくは伸びないから。
しかし・・・バカはそれ分かんないから
自分探しをすることでどんどん自分を見失っていく
で、大枚払って怪しげな自己啓発セミナーに通ったり、(質素と称し)実際は大枚払って海外にバックパッカーに行きまくったり、語学留学に行ったり、スーパーカブに乗って全国一周を企てたり、青春18切符で風まかせ旅したり・大枚払って就活セミナー合宿行ったり、小難しい哲学書とか自己啓発本読みふけったり・・・
己の感性の低さをこれ以上ないレベルで露呈してる。
なぜならば、まともな輩は
別に環境を変えずとも普通のありふれた日常生活の中で自分の才能や特質を消化できるし、そこにこの上ない幸福を感じることが出来るから

まぁ私とて大学時代、当時の友人のF氏と青春十八切符でみちのく二人旅をしたんだが別に自分探しでもなんでもなかったから。
ほとんど食べ歩き
ひたすらグルメ。
宇都宮で餃子屋ハシゴとか喜多方でラーメン屋ハシゴとか。
非モテ系の私だったが一度だけ女の子と温泉旅行に行ったことがあって旅行中ずっと何してたか?
言うまでもないでしょ。

↑ 鬼の汎用性
共通単語なんてほとんどないし価値観も全く違う生き物だから話しても1mmも面白く無いってか腹立つだけだから。
間がほとんど持たん。
もっと書くがこの子はあれ意外何ら褒めるべき点がなかった。
それ以上でも以下でもない。
本人は自分は学があると思い込んでいたがむしろ邪魔でその薄っぺらい知識と考え方が大いに勘に触った。
まぁ抱くに値しただけでマシだったとその後思うんだが。
いずれにせよ、美味い飯食って眩いスケ抱けたら幸せなんだよ、私は。
ってか人間なんてそんなもんだよ、
何をカッコつけて上品ぶってるんだよ貴様達は?
この際だから書くがスタイルとしてモッズ・ファッションを選んだのは積極的じゃないから。
私にとって逃げのファッションなんだよ、あれは。
90年代半ばは盛り上がっていたけど別に主流ではなかったから。
あくまでサブ、メインは別、ギャル系とかキレイ系とかB系とか。
やっても私似合わんもの。
女子も然りで
個性的なファッションは現実逃避
奇抜なファッションは最後の砦
だから。
今もそうだと思うが当時のモッズシーンはそんな女の子だらけだったように思う。
外見、モンキーで中身はステフみたいな。
決してモダン・ギャル、’現代的な女の子’じゃない。
都会的な女の子、否、アバンギャルド。
モッズファッションに限らず奇抜や個性が現実逃避型のファッションだって話はやっていた本人が一番分かっていて最近読んだこの書籍に怖いくらい赤裸々に書かれていた。

同じ世代の男性が書いたこの書籍と併せて読むともっと良く分かる。

興味ある方は一読されたし。
で、私はギャルってかギャル風味の普通の女の子がタイプだったんだが現実には一部の不思議ちゃんと言うか地味、ゆえに一般の土俵で勝負出来ないので少し奇抜な盛り方で体裁を保っているような輩しか縁がなかった。
その理由が今では分かるが、ある種、女の恋愛カーストと思う。
つまり
この男は決して世間一般の言うカッコいい男ではない
経済的に裕福とも思えない
取り立てて性格が良いとも思えない
将来出世するとも思えない
周囲に自慢できる訳はない
だが・・・
どのカーストにも属していない
それは私とて然り。
なぜなら狙ってそうなったんだから。
彼を見かけたらきっと周りの輩はこう言うだろう
君 らしい ね・・・
女という生き物は良くも悪くも自分より格上の男しか興味を持たないしアプローチして来ない。
つまり、自分より 変な人 の烙印を押して己の 変 を埋没させようとする。
私は綺麗じゃない、つまり白くない、何かしらの色に染まっている。
黒ではないがグレーだ。
でもこの人は真っ黒だ。
私の色も埋没するだろう。
残念ながら大間違いだよ。
黒に埋没できるのは黒だけだ。
中途半端に淡麗色は逆に目立つ。
もっと言えば本当の私は滅茶苦茶神経質で几帳面な性格でつまり極めて真面目な常識人だからである。
私が一般人の100倍優れているのは
感受性 sensitivenesssensitivity
であり 感覚 sense の意味する所は
常識 common sense
と言うわけだ。
〜〜〜
21世紀に突入した2001年の初頭にはF氏もYも大学を辞めており音信不通になっていた。
繋がっていたのはO矢君くらいだったがそろそろ大学4年でありそう、就職活動と言うダメ押しの「自己実現」と「自分探し」が待ち受けていた。
とっくのとうにDTではなかったし色んな意味で私は「自分が何者であるか?」誰よりも理解しており今更面達とか読んで自己分析するのはバカバカしくてバカバカしくてお腹が痛くて痛くて捩れて椎間板ヘルニアになりそうだった。
とんでもない健康被害だよ、マジで。
場合によっては弁償もんだぞ!
ちなみに椎間板ヘルニアにはなったことはない。
で、周囲の連中みたいに
夢を追うと称して厳しい現実から目を背け就活をしない
というのもかなりみっともなかった。
そう、AとBどちらに転んでも駄目な訳である。
対馬丸状態だよ。
沖縄に米軍が上陸してくるという。
女子供は本土に逃げねば。
疎開船で鹿児島に向かって航海に出るが連合艦隊は壊滅しており護送船団など組めない。
よって米軍の潜水艦に撃沈されて海の藻屑に消える。
生き残った者のほとんどは安全な鹿児島ではなく直ぐに鉄の暴風と化す沖縄に流されるのだ。
何が言いたいか分るよね?

当時の私は大分テンションが低く無駄にポジティブで元気なO矢君に会うとジミーの幼馴染のロッカーみたいなことを言いまくっていた。
アルバイトだけはちゃんとしており、ってかしないと生活できなかったので正直渋々やっていた。
東京某区にあった小さなシンクタンクの使いっ走りだったんだが広告業務も請け負っており大手広告代理店に書類を届けたり受け取ったりしていた。
寒かったんでモッズコート着て。
当時の愛車はランブレッタだったんでこっちは本当にジミーみたいだった。
中略
こうして今の私がある。
ジミーは労働者階級だったので上司に逆切れして辞めずとも一生、使いっ走りのままだっただろう。
イギリスとはそういう国である。
だが、ここは日本であり、正真正銘の希望と栄光の国、運と素質とそこそこのルックスさえあれば何にでもなれる、1960年代のイギリスよりは遥かに労働者の流動性があった訳だ。
一番ダメだった頃が今の私を繋げた訳だから本当に世の中は何が幸となり難となるか分からん。
重要なことは
トライし続けること
である。
〜〜〜
君はテレビの仕事がしたかったんだってね? then you!
君はCMプランナーになりたかったんだってね? used be!
だって君は誰よりも個性があって面白くて既成の価値観なんてぶっ壊すくらいの規格外の人間、でしょ? is't you?
今でもそうだよね? now?
だからブログ書いたり自分のHP作ったりTwitterやってウェブ上でも凡俗な一般人に向けて自己顕示しまくっている。
ハラショー、実に素晴らしい!!
本当に本当に君は面白い!!!
君がこれまで歩んできた道のりは本当に興味深いし君の日常生活は毎日毎日、本当にドラマチックだよ、映画にしたいくらいだ。
バーカ
〜〜〜
映画「さらば青春の光」のメッセージは沢山ある。
1つは繰り返すが
上を見るな 身の程を知れ
だ。
お前はどう足掻いても俺(ピート・タウンゼント)にはなれないしレイ・デイヴィスにもなれない。
故に
日常に帰れ
ありふれた日常の普通の生活の中で人としての幸福を見つけろ!
些細なことを些細なこととして片付けるな、そこに何かしらの価値を見い出せ!
借り物ではない
自分自身の物差しを持て
もっとも重要なことはどんなに嫌なことがあっても
生きろ!
絶望は愚者の選択であり決して自殺なんかしてはいけない。
このメッセージは三國連太郎の代表作となったこの映画でも強烈に感じたことだが

ピート・タウンゼントが黄金の60年代が終焉して直ぐに四重人格の制作に取り掛かったのはある種の贖罪意識が芽生えたのでは?
と私は思う。

I hope I die before I get old
俺は歳をとる前に死にたい
むしろこの曲か・・・
自分の行きたいところへ行く
やりたいことをやる
生きたいように生きる

歌詞の一部はロジャー・ダルトリーが書いたといわれるがここで歌われているのは自己実現ではなく
自己決定権
である。
だが・・・・

自己実現であれ自己決定権であれ、
個人の自由意志を駆使して生きる
そんなたいそうな生き方が許されるのは今も昔も私を含め神に選ばれた極々少数の限られた輩だけだ。
君たちみたいな凡人がそんな生き方を実践しても必ず不幸になるよ、brother!
終わり