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本当の自分なんて何処にいる?? 前編

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少しばかり遅れてしまったが・・・

さらば青春の光! UKモッズにおくるラガー登場

[2013/04/05]




ローリング・ストーンズに遅れること1年で遂にザ・フーってかモッズもアルコール飲料化されたようである。
まぁ私は毒水、特にビールなんて滅多に飲まないんだが・・・
そもそもモッズはスクーターで移動することが多いから酒は飲まんよ。



日本での発売は未定だが本国イギリスではまだまだモッズ・カルチャーは有力な広告ネタらしい・・・
ということでこの記事の回収をば

1995−2012  歴史的競演!! 不滅の大英帝国

2012-08-13 20:55:46 | 音楽


昨年、夏はピート・タウンゼントが全世界に向けて高らかに勝利宣言した記念すべき年だった訳だが改めて思うにそれは必然だったと言わねばなるまい。
それは=16歳の頃の私の感性が絶対的に正しかったことを意味する。

私はモッズに興味があったからベスパに乗ったのではない。
ベスパが好きで乗ってその頃、モッズムーヴメントがサブカルチャーとして流行っていたから便乗した迄だ。
覚えている人が居るか微妙だが1995,6年頃の日本は埼玉に限らずモッズ仕様のベスパが結構走っていたから。

ベスパ!ビバーチェ (Vol.2)スタジオタッククリエイティブスタジオタッククリエイティブ

正直に言って私はファッションとしてのモッズよりも音楽としてのモッズの方が好きだったし評価していた。
きっかけはやはり当時、リバイバルのまっただ中にあったザ・フーでありもはやカルト青春映画の金字塔となって久しいこの映画である。

さらば青春の光 [Blu-ray]フィル・ダニエルズ,レスリー・アッシュ,スティング,フィリップ・デイヴィス,マーク・ウィンゲットジェネオン・ユニバーサル

レビューは随分前に書いたと思う。

映画「さらば青春の光」  オープニングに込められたメッセージ

2009-04-29 22:54:19 | 映画


今読み返すと凡俗で酷いレビューだが他はもっと酷いらしくGoogle上位でヒットしてしまい読まれまくって片腹痛い。
だって前半は90年代に雑誌で書かれたそれの焼き直しだから。
それで反省も込めてこれからまぁそこそこちゃんと書きたいと思う。



Can you see the real me preacher?

本当の俺が見えるか、牧師さん?

Can you see the real me doctor?

本当の俺が見えているのか、先生?

Can you see the real me mother?

本当の俺が見えているのかい、お母さん?

Can you see the real me?

本当の俺が見えるのか?

この映画のテーマは極めて明解である。
そう!

「本当の自分」はどこにいる 自分探しの心理学加藤諦三PHP研究所
である。
文字通り、ドンピシャ!でしょう?

>豊かな社会に生きる日本人は、ただがむしゃらに上昇を求めた経済成長期の日本人とはメンタリティが本質的に違っている。現代に求められているのは、「自己実現」、もっとわかりやすく言えば「夢の実現」である。「自分を生き生きさせてくれる仕事」や「心理的に納得できる生活」を目指して、人々の心は、不確かな道をさ迷っている。

>経済成長期のように、皆が「上へ!」という共通の価値観を持っていた時代は、コミュニケーションも成立しやすかった。しかし、皆が皆、放射状に歩いていっているような観さえある現代においては、コミュニケーション環境が崩壊してしまった。「自分のことが相手に伝わらない」のだ。

ちなみに私は上記書籍を1ページも開いていない・・・・
刊行されたことも知らなかった。
今さっきAmazonで検索して上位にヒットしただけである。
だが、2011年に書かれた上記解説文は私が2008年頃からこのブログで書いてきたこととほとんど一致しているはずである。

共通言語ないしは単語の細分化

共通体験欲求の消滅

価値多元社会の到来

最も重要なのは後半で

>このことが、「生きにくい現代」という命題の基本だと著者は言う。そして、それを「自分探し症候群」と名づけ、そこからの脱却のための迷路の出口をわかりやすく指し示してゆく。

さもあらん。
自分探しはかなり重度の精神疾患だと私は思う。
2006年に刊行されたこの書籍でも「自分探し」はかなり否定的に書かれている。

自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)速水 健朗ソフトバンククリエイティブ

>気がつけば、世の中には「自分探し」と密接に関わる現象が満ちあふれている。海外放浪やバックパッカーなどの“外こもり”、自己啓発ムーブメントやフリーター増加、路上詩人やホワイトバンドなどなど…。若者を中心として、「自分探し」が止まらなくなっている日本の姿を赤裸々に暴き出す一冊。夢を追っているうちに「自分探し」の落とし穴へ転落しないための社会の歩き方。

ローリング・ストーンズとレイ・デイヴィスにはかなり劣等感を抱いていたようだがピート・タウンゼントの感性はやはり超一級だった。
「自分探し」なる現象が登場し一般化するはるか昔に歌にするだけでなく1枚の一大コンセプト・アルバムを創りあげてしまったのだから。
映画「さらば青春の光」の原作となったのは1973年発表のこのアルバムである。

四重人格USMジャパンUSMジャパン

もはやコンセプトアルバムなど掃いて捨てるほどあるがピートの右に並ぶ者は居ないだろう。
レコーディング時は27歳に過ぎなかったのだがこの年で自分の青春時代強いてはスウィンギング・ロンドンを振り返り総括したのだから。
ピートは「自分探し」をするような輩はどこか精神的に病んでいる残念な輩だと言うことを誰よりも分かっていた。

I went back to the doctor

また医者にかかった。

To get another shrink.

別の精神科医にさ。

I sit and tell him about my weekend,

俺は座って彼に週末のことについて話す。

But he never betrays what he thinks.

でも彼は何を考えているのか漏らさなかった。

I went back to my mother

おふくろのとこに戻ったんだ。

I said, "I'm crazy ma, help me."

俺は言う「俺は狂ったんだ母さん、助けてくれ」

〜〜〜〜

実に分かりやすい。
別に英語の歌詞を追わずとも理解できる。

四重人格

24人のビリー・ミリガン〈上〉 (ダニエル・キイス文庫)Daniel Keyes,堀内 静子早川書房

ジミーは多重人格者、人格障害者だったの?
さにあらず。

病気は甘え

メンヘラは言い訳

まぁ誰しも多かれ少なかれ精神疾患的な要素は持ってる訳だが病気まではいかんよ。
映画を観た人は分かると思うがジミーは少々誇大妄想の気があったようで

自分は特別な人間であり

大物なんだ!

周囲にそんな言動を振りまく。
ジミーのアイドルはピートであり、ピート以上にキンクス、と言うよりレイ・デイヴィスである。
こ汚い場末のブリティッシュ銭湯でご機嫌になりデンマンのボディ・ブラシをマイクに彼が歌っていたのはザ・フーではなくキンクスの’ユー・リアリー・ガット・ミー’だった。



俺は不思議な少年で



学園のヒーローだから



その他大勢とは違うんです!


あなたとは違うんです Ver.3 Tシャツ(ナチュラル) Mクリエーター情報なしメーカー情報なし

だが・・・ジミーは自分自身を客観的に見ることは出来なかったのである。
なぜか?
ジミーは1948年生まれ、文字通り’戦争が終わって僕らは生まれた〜’団塊の世代であり、徴兵されて軍隊に入隊したことがなかったからである。
自由の国アメリカではなくなにゆえ老朽国家だったイギリスでユースカルチャーがあれほど多種多様に大きく花開いたかについてほとんどの当事者や研究者は書いている。
徴兵制がなくなったからだ、と。

イギリス「族」物語Jon Savage,岡崎 真理毎日新聞社
ネルソン提督がナポレオンの野望を打ち砕いたその時より覇権国家となった大英帝国の終焉の時期については諸説あるが1956年に起きたスエズ動乱だろう。
米ソを敵に回したイギリスはもはや単独で軍事行動を起こすことが出来なくなったことを満天下に知らしめたからである。

大英帝国衰亡史 PHP文庫中西 輝政PHP研究所
帝国は解体に向かい強大な軍隊も不要になり徴兵制度もなくなる。
志願制となるがジミーの幼馴染のロッカーがそうである。
終止地に足が着かず浮き足立ったジミーに対し彼の冷め冷めの言動は極めて対照的である。

ダメな奴は何処に行ってもダメさ・・・

ジミーは彼の言ってる意味がほとんど理解できなかった。
だが・・・理解するのにさして時間は要さなかった。

徴兵制度があった時代、若者という概念は存在しなかったと言われる。
単に

大人と子供

に二分されていただけだ。
男子は軍隊に入隊し理不尽なトルチョック制裁を受けまくり除隊した時には身も心も大人になっていた。
軍隊こそある種の

通過儀礼

だった。
そうした国家公認、オフィシャルな通過儀礼がなくなってしまう。
子供はいかにして大人になるのか?

1つは進学というより

受験

である。
1965年が舞台の「さらば青春の光」より4年前のイギリス、それもロンドンの女子高生を描いた傑作映画がこちら

17歳の肖像 [Blu-ray]キャリー・マリガン,ピーター・サースガード,アルフレッド・モリーナ,ドミニク・クーパーソニー・ピクチャーズエンタテインメント
ここでは受験が1つの通過儀礼になっている。
だが・・・主人公のジェニーは・・・

>年上の彼により、私は大人になった…

それはジミーとて同じ。
むしろイレブンプラスに落ちて若干15、6歳で社会に出たジミーのほうが然りだっただろう。
つまり

大人になる⇒男(女)になる=女(男)を知る

に転じてしまったのである。
1960年代が性の解放だった云々はこれと大いに関係していると私は思う。
で、この「異性を体験すること」こそ正真正銘の「自分探し」であると私は確信している。
なぜならば

= 自分自身を客観視すること

だからである。
褥を共にした異性の中にこそ今まで見えていなかった本当の自分が存在する。
映画ではジミーはステフに恋い焦がれており追いかけていたがそれはステフが他の女の子よりも遥かに可愛かったからである。
昔からイギリスには可愛い女の子はあんまり居ないので仕方ない部分は大いにあるんだが・・・

大英帝国は紳士の国である!

いい女と褥を共にすれば自分もいい男になり自分のステイタスが上がると考えたのだろう。
これはステフも然りでゆえにスティングが演じたエースにキャーキャー言った訳だ。
晴れてDTを捨てたジミーは「自分探し」に成功し「大人になった」のだがそれは彼の思い描いていたものではなかった。
「自分探し」の意味する所は言葉を換えれば

身の程を知ること

に他ならなかったからである。
ジミーは実存的に男になったのだが

仕事はクビになり定職もない

恋人はドビッチで寝取られ友達も居ない

ヤクの乱用が親にバレて実家をつまみ出され、帰るべき家もない’NO DIRECTION HOME’

愛車のランブレッタも事故ってスクラップ

約束の地、ブライトンに戻りエースを発見したが彼は本当に大人だった

「お前たちはさっきからしたり顔で愛だとか、友情だとか、家族の絆だとか、同志だとか言うけれど、誠意って何かね?」









「人が生きて行く上で支えになる拠り所って何かね?」

エースのフルデコラリーに跨ってブライトンの断崖絶壁を疾走するジミーの頭の中に過ぎった台詞は上記だろう。
で、ジミーは断崖絶壁からダイビングと言う二度目の通過儀礼をする訳だが、果たして一人で生還し明確な答えが出る。
社会という荒波に揉まれて生きていく上で支えになる拠り所は何か?

自分自身

である。
それ以上でも以下でもない。
自分を救ったのは自分自身であり、もはや信じられるのは自分自身だけである。
それは「さらば青春の光」のアンサーシネマとして’クール・ブリタニア’全盛の1996年に登場したこの映画にも受け継がれている

トレインスポッティング [Blu-ray]ユアン・マクレガー,ロバート・カーライル角川書店

青春は恋愛を肯定するか?

青春は友情を肯定するか?

青春は仲間を肯定するか?

青春は家族を肯定するか?

青春は国家を肯定するか?

従来の定説を覆すアフォリズムであるがマーク・レントンはいかにして建設的な未来を選び大人になったのか??

彼自身の生活を手に入れたのか??



ピート・タウンゼントが1979年公開の映画で教示した万古不易の真理は2000年代に入り加速度的に現実味を帯びて来た。

個人主義の時代

自己責任の時代

である。
だが・・・間抜けどもはこれを履き違えるのである。

この国で「自分探し」が流行りだし一般化するのは90年代半ばからだ。
そう、バブル経済が崩壊しイケイケドンドンだった大日本経済帝国の衰退が始まったからである。
それは=日本人の大きな物語の終焉を意味していた。
物語は細分化し小さくなり最終的に

自分自身の物語

となりそれは=「自分探し」という訳である。
夢追い型のフリーターが登場しもてはやされたのもこの頃からだ。



本当の自分

自分らしく生きよう

常識に囚われず自由に生きよう

自分の夢を叶えよう

自分の個性を大切にしよう

こうしたキーワードがファッション誌を中心に溢れかえるのだが90年代にこの国最期の若者文化が開花させることになった。



>MY BOOM IS ME

>みんな自分のことが好き

当然、ベスパブームはこの流れに沿った現象である。
つまり

モノを介して自己実現をし自分探しをした

のである。
ファッションも然り。
映画「さらば青春の光」がいかにグレイトな映画だったのか?
お分かりいただけただろうか?
あの映画なくしてモッズムーブメントが今日まで生きながらえることが出来たか?
甚だ疑問である。
だが、繰り返すが真に偉大なロックンロール・アーティスト、ピート・タウンゼントが我々に問うたのはデコレーションしたスクーターを乗り回すことでもなく、ファッションに熱を上げることでもなく、ブルーやパープルハーツでキメて夜な夜なクラブで踊り狂うことでもない。
そんなことは

上辺

に過ぎない。
そんなことをして

本当の自分が見つかる訳はない

大人にもなれない

つづく

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