この話ももう3年寝かしたから語っても良い頃と思う。
いや、もはや私の心の中にとどめておくことは出来ない。
文章化して吐き出さないと精神衛生上非常に悪い。
〜〜〜〜
私の知り合いの女性の話だが或る男性を好きになって結構、頻繁に会っていたと言う。
期間を鑑みると恐らく深い仲になったものと思う。
ちなみに相手の男性も私は知っていて2回だけだが会った事がある。
だが・・・二人の仲には気付かなかった。
二人一緒のところを見なかったのもあるが男性は口数が少なく二人とも真面目そうで紳士淑女にしか見えなかったから。
人は見た目が9割 (新潮新書)クリエーター情報なし新潮社
実はこの男性は近いうちに結婚が決まっており婚約者が居た。
だが、本人が言わなかったんで彼女は知らなかった。
その事実を知った時、相当なショックを受けたようである。
これを不倫と表現するかは微妙だが婚約者の女性の立場になって考えてもらいたい。
と、ここまでは良くある話、である。
問題はその先である。
二人には共通の知人がおりそれは女性で彼女と結構親しく当時、プライベートでも良く遊んでいた。
かくいう私が1回だけだがこの二人とプライベートで遊んだことがあるので
二人は友達
だと思っていた。
仲良さそうに話してましたもの。
ところが・・・この女性は男性に婚約者が居ることを知っており、と言うか婚約者の女性と面識があった。
男性の背景を知っていたのである。
だが・・・・友人が泥沼にハマって行くのを止めなかった。
男性に口止めされていたのか?
それは不明だが「重要な情報」を’友人’に教えなかったことは確かだ。
同性への「告知義務」よりも異性への「守秘義務」を選択したのだろう。
偶然、他の男性から事の真相を知らされ二人の関係はご破算になったのだがこれを聞いた件の女性は悪びれた様子もなく笑っていたと言う。
この二人どうなるものやら、と傍観していたらしい。
実際には男性ともそれ程親しくなかったのが真相である。
〜〜〜〜
この話を聞いた私は当事者の女性以上に大きなショックを受けた。
なぜならば
全てのプレイヤーがそんな不道徳なことをする輩に見えなかったから
である。
全員、知性と教養を持ち知的で経済効率の良い仕事に従事している’善良な労働者’だった。
一番ショックを受けたのは女性の友人に対する対応である。
偶然が起きずそのまま突っ走っていたらどうなってしまったのか?
他人事のように傍観していたようだがまわり回って自分に被害が及んだことも大いに考えれる。
酷いショックを受け、恐怖に慄いた私はこの話を別人脈の連中(全て男性)に話したが誰一人驚かなかった。
一体、どこが怖い話なの?
と。
そう、もはや’一億総不道徳’’一億総開き直り’の時代、この程度のことで驚きショックを受けるほうが’おかしい’んだろう。
不倫して何が悪い!
ジュンイチ・イシダの「不倫は文化」発言から早16年・・・・時の流れは早いがとっても残酷で正直である。
全てがご破算になって数週間後、偶然、当事者の女性に会ったがピンピンしていた。
件の女性は地方に転勤してしまいやや疎遠になったようだが絶交した訳でなし、女同士の友情とやらも破綻しなかったようだ。
その時私は
女は強し・・・・
これを痛感した。
へこたれへん。クリエーター情報なし角川書店
無駄に心配した私がアホやった・・・・
〜〜〜
愚悪の二項定理に従うなら
男性=悪人
女性=愚か者
友人の女性=悪人
婚約者=愚か者
となる。
だが・・同じ悪人でも男性の悪は憎めない面があるが女性の悪は質が違うように思う。
愉快犯と言うか人の不幸は密の味と言うか・・・げに恐ろしきは女の業とはこれのことか・・・
ここでこの記事の回収。
「東京ラブストーリー」 和賀部長の権謀術数
新入社員のカンチとは別に友人でもなんでもなかったが中山秀ちゃんはいかに善良な人間だったのだろうか?
だが・・・
穿ったことを書くが男女の関係はこの二項定理で全て説明できる。
賢者なんて一人も居ない
善人も一人も居ない
’被害者’も一人も居ない・・・・
いや、一人居る。
この話を人づてに聞いて心の中の’漆黒の闇’が更に深くなった私に他なるまい。
中途半端に登場人物を知っていたがゆえにショックを受けたんだろう。
〜〜〜
最近、若い女性と話をするとやたらと
女同士の友情を強調
して来るので正直どう返して良いか分からんし、大いに白ける。
どころか辟易して反吐が出る。
大いに嘘くさい
からである。
あからさまには腐さんが彼女等の言う友人とやらについてちょっと聞いてみると実際にはその人について詳しくは知らないことがほとんどだ。
なぜならば共通体験欲求が消滅して久しい世代においては共通言語が少なく濃密なコミュニケーションが取れていないからである。
お互いの趣味嗜好についてほとんど関心がないんだから仕方あるまい。
だけでなく有史以来共通のテーマ、そう、異性関係の話すらほとんど共有されて居ない事に驚いた。
従来では考えられなかった話である。
だが・・・
この国は間違いなく
友情の時代
のシフトしている。
その象徴がこの漫画だろう。
ONE PIECE 65 (ジャンプコミックス)クリエーター情報なし集英社
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書)クリエーター情報なしあさ出版
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法クリエーター情報なしアスコム
ルフィは仲間のために戦うのだ。
同じジャンプ超人気漫画でも我々世代の
ドラゴンボール 全42巻 (ジャンプ・コミックス)クリエーター情報なし集英社
はどう御託を並べても仲間のために戦っていたのではない。
地球平和のためでもない!
孫悟空は単にもっともっと強くなりたいから戦っていたのである
今思うと超自己チューではた迷惑な男だが
自己実現
我々世代の多くがハマッたテーマはこの漫画にも流れていたと言える。
自己実現のためには少々の犠牲はやむを得ない。
ドラゴンボールと人気を二分したこの漫画はどうだろうか?
スラムダンク全31巻完結 [マーケットプレイス コミックセット]クリエーター情報なし集英社
仲間のために皆、頑張っていたのではないか?
さにあらず。
それは結果論に過ぎない。
そもそも桜木花道がバスケを始めたのは赤木晴子に好かれんが為であったことを皆忘れている。
宮城リョータと桜木花道の関係を「男の友情」で括るのは早計である。
この漫画はもう少し複雑である。
ジョジョの奇妙な冒険 8~17巻(第3部)セット (集英社文庫―コミック版)クリエーター情報なし集英社
ジョセフ・ジョースターは愛する娘ホリィの為、承太郎は母親の為に命を賭けて戦ったのだが、アブドゥル、花京院、ポルナレフがディオと命を賭けて戦う動機は各々微妙に違うからである。
ジョジョについて書き出すと長くなるので割愛して先に進む。
女同士の友情にスポットを当てたのはこの漫画か・・・・
NANA (1)クリエーター情報なし集英社
3年前、婚活研究の連載記事を書いたが最終回は
婚活研究 第三回 恋愛至上主義の終焉
>20代と30代の独身OLに
>「友達と彼氏どっちをとるか?」
>とアンケートをとった所約67%のOLが友達と答え恋人を圧倒した。
>10年前じゃ考えられなかったことだがこれが現実ってもんだ。
>簡単に言えば恋愛は友情に負けたのである。
この記事を書いた当初は眉唾だったのだが実際に話を聞いて納得せざるを得なかった。
皆、友情を選ぶと言ったし恋愛なり恋人の重要度は怖いくらいに低下していたのだから。
世代間ギャップを痛感して久しいが最も感じるのが 恋愛 と 友情 に対するスタンスと思う。
我々世代までは男女ともそれ程友情を重視していなかったから。
重視していたのはせいぜい中学生までだろう。
この映画は男同士の友情を描いた傑作映画だが
スタンド・バイ・ミー コレクターズ・エディション [DVD]クリエーター情報なしソニー・ピクチャーズエンタテインメント
私は自分が12歳の時に持った友人に勝る友人をその後も持ったことはない。
誰もがそうなのではないだろうか?
と言う名台詞が出てくる。
ってかそれが普通だし
そうじゃないとマズイ
人類が滅亡してしまうではないか?
この映画はもっと複雑である。
ブリジット・ジョーンズの日記 [DVD]クリエーター情報なしソニー・ピクチャーズエンタテインメント
もはや恋愛など滑稽な三文喜劇であることが痛いくらいに分かっているが、身体に染み付いた恋愛至上主義が抜けられない英国三十路女の葛藤を克明に描いたからである。
この映画でも友情はかなり軽視されておりたとえ滑稽な三文喜劇であっても異性間の恋愛の前にあっけなく敗北する。
また同性間の友情と異性間の恋愛双方が信じられなくなった時、第三の選択としてゲイの友人が登場する点は時代を大いに反映していると言える。
田吾作に担がれた薄っぺらい邦画では描くことの出来ない’真の21世紀の映画’である。
ここで日本で大ヒットしたイギリス映画を振り返ってみたい。
小さな恋のメロディ [DVD]クリエーター情報なしポニーキャニオン
恋愛の前に男同士の友情があっけなく敗北する話である。
〜〜〜〜
さらば青春の光 [DVD]クリエーター情報なしユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
この映画もまた友情を否定している。
〜〜〜〜
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この映画に至っては友情と言うか「仲間」すら否定している。
主人公レントンにとって周囲の連中は所詮、腐れ縁に過ぎなかった。
>俺には友達は一人も居ない。顔見知りが何人かいるだけだ。
〜〜〜〜〜
大ヒットした訳ではないが・・・
17歳の肖像 コレクターズ・エディション [DVD]クリエーター情報なしソニー・ピクチャーズエンタテインメント
この映画もまた「友情の崩壊」を描いている。
この映画を観た時私は自分の身の回りで起きたこと、そう、冒頭で挙げた逸話を思い出さずにおれなかった。
だが・・・映画の中の登場人物の方が遥かにまともに思えてならなかった。
いずれにせよ、イギリス人が友情をかなり軽視していることは確かだ。
ブリティッシュ・ロマンスなる単語は存在するがブリティッシュ・フレンドシップなる単語は存在しない。
もっと言えば彼らは恋愛すら冷めた目で見ている。
その辺がフランス人と違う。
もっともっと言えば富や名声ですら冷めた目で見ている。
その辺がアメリカ人と違う。
もっともっともっと言うと親兄弟や子供ですら冷めた目で見ている。
その辺がイタリア人と違う。
神や宗教すらほとんど信じていない究極の個人主義者と思うがニヒリズムに陥らず悲観しない。
ゆえに万事楽天的なイタリア人とは全く違う理由で自殺率が異様に低い。
ある意味で世界最強の国民と私は高く評価している。
閑話休題。
ミクシィに「友達は財産」なるコミュニティがあるがメンバー数は40万人を超えており総数4820688件の中で堂々の10位である。
当然、あらゆる恋愛系コミュニティのメンバー数を上回っている。
90年代半ばにミクシィなるサービスがあったと仮定して「友達は財産」なるコミュがこれ程大きくなったとは考え難い。
私にとって友達は財産だったのだろうか?
ザ・ヒューマン・セーフティネット
>その辺、O矢君と一緒に居るのはかなり楽だった。
>異性関係の話、ほとんどないんだもの。
>当時、O矢君は口を開くと愚痴か能書きしか垂れない駄目駄目の私をセーフティネットに例えていた。
>私を見ると妙に安心するんだと言う。
この4行が全てを物語っていよう。
友達は財産ではなく保険に過ぎなかった。
前述のブリジット・ジョーンズの日記においても友達は一人ぼっちになった時の保険扱いで描かれている。
だが・・・・
長い人生では財産よりも保険の方が遥かに重要で価値がある
これも書き出すと長くなるんだがどんなに財産があろうが無保険の自動車やオートバイを乗り回す馬鹿は居ないとだけ書いておく。
〜〜〜〜〜
1998年放映のこのドラマ
神様、もう少しだけ [DVD]クリエーター情報なしアミューズソフトエンタテインメント
では女子高特有の陰湿ないじめを克明に描いているが私は特に違和感を感じなかった。
私自身は小中高通して公立の共学校だったがそこで見て来た女子連中のいじめはかくも陰湿で残酷なもんだったから。
いじめまで行かなくとも女同士の関係などホント、上辺だけですよ。
「こないだ君の友達の〜さんをまるひろで見かけたよ」
「ふ〜ん。でも〜は別にあたしの友達って訳じゃないんだよね・・・」
「えっ!?よく一緒にいるじゃない?」
最期のテレビ芸人はロンドンブーツ1号2号と思うが彼らが登り出して行くのがやはり1998年である。
この年スタートした「スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦」のメイン企画はヤミスキであり女同士の友情を腐すだけでなく崩壊させて面白がる滅茶苦茶な番組だった。
一部やらせ説もあるが妙なリアリティがあったことも確かである。
放送コードが厳しくなったこともあるが2012年現在、この企画を放映したら抗議が殺到するように思う。
〜〜〜〜〜
今となっては私には友人らしい友人は一人も居ない。
サラッと書いたが別に残念とも思わない。
と言うのはいい年した成人男性が友情を強調したり友達同士集ったりするのはそれはそれで残念な話だからである。
いや、正直に書けば成人女性も然り。
何年か前、中学の同窓のチャッキー主催のゲーム大会に参加して痛感した。
あんな残念な空間に身を置くなら一人で居た方が1000倍はマシと痛感した。
実際には既婚者の女性とかも居たんだが何かが変だった。
昨年、村の盆踊りに姪っ子を連れて参加したら小中時代の同窓何人かと再会した。
皆、妻子持ちのパパになって居た。
久しぶりに会って話したが私以外の3人ももはやお互い滅多に会わず疎遠になっていると言っていた。
みんな昔は私の友達だった。
修学旅行の班が一緒だったとか一緒に廊下に立たされたとかそれこそスタンド・バイ・ミーみたいに一緒に野宿したとか。
だが・・・共通体験が出来たのはせいぜい高校まででそれ以降は全く別々の人生を歩んだこともあって昔話に花が咲くくらいでそれ以上でも以下でもない。
それが普通である。
浴衣姿の子供たちを写した写真の数々の方が遥かに’いい絵’だし価値がある。
私の宝物の一つである。
〜〜〜〜〜
今年の2月に出身高校のOB会にチョコっと顔を出したら専門学校2年生の後輩の女子が出席していた。
この子と今ここで書いてきたような話を軽くしたんだが今、若い連中の間で1番残念なのは恋人が居ないことではなく友達が居ないことらしい。
お昼休みに一人でお弁当を食べるとか論外らしい。
この話を聞いた時、前述の「友達は財産」と言う表現も微妙と思った。
なんて言うか
最低ライン
の臭いがしたからである。
やはりセイフティ・ネットとか保険に近いというか。
女子だけでなく男子もまたそうだ。
職場に男子大学生のアルバイトが来ることがあるが話してみると自分には友達が居ることをやたら強調する。
絶句したのはこの書籍で
明治大学で教える「婚育」の授業 (青春新書インテリジェンス)クリエーター情報なし青春出版社
男同士でトイレに行く、とか、友達と同じゼミでないと駄目だって男子大学生が多々見受けられるらしい。
ま、実社会に出れば
日本男児ほど組織に固執し群れたがる残念な生き物はいない
ことを痛感するのだが彼らを弁護するなら彼らも若い頃からそうだった訳ではない点である。
そうしないと生きていけないと言う悲哀・・・・
実社会に出る前から群れちゃっている男子の未来を想像するだけでゾっとする。
繰り返すが恋愛はもう往時の力を持たない。
男女とも独身者の割合は増加の一途を辿っているが15年後は50歳未婚率は35%に達しているだろう。
その結果、どんな光景が見受けられるのだろうか?
想像に難くない。
この先、何十年も連載が続いても漫画の中のキャラクターは中身は成長することはあれど外見は酷く劣化しない。
されど現実世界はそうではない。
これは特記しておきたい。
〜〜〜〜
男女問わず自分自身の友情に自信がある方は是非この書籍を一読されたし。
アドルフ・ヒトラーの青春―親友クビツェクの回想と証言クリエーター情報なし三交社
恐らく軽々しく 親友 とか 友情 なんて言えない筈だ。
この本が書かれたのは戦後でありヒトラー及びナチス・ドイツの蛮行が明らかになり罪状に対して判決が下った後である。
誰も表立ってヒトラーを肯定しない、いや、出来ない。
だが、クビツェクは明言する。
私はヒトラーの親友だった
と。
ヒトラー、及びナチスの洗脳が解けていなかったから?
さにあらず。
クビツェクとヒトラーが親交を深めたのはヒトラーが政治家になる前である。
クビツェクはナチスに入党しなかったし反ユダヤ主義者でもない。
戦前金銭的な援助を受けた訳でもない。
ヒトラーとクビツェクの間にはイデオロギーは言うに及ばず愛とか損得勘定をも越えたもっと崇高な何かが存在していたからである。
予言めいたことを書くが2015年に映画化されることと思う。
映画化だけでなくこの年、ヒトラー関係の書籍が大量に刊行されることと思う。
〜〜〜
日本人で最も親友を沢山持っていたのはやはりこの人です。
拝啓 渥美清様クリエーター情報なし中央公論新社
最近、読み直したんだけど3ページ読んで号泣・・・・
もう、現代の友情なんてどれもこれも薄っぺらい、薄っぺらい。
この人ほど広く深く愛された日本人は居ないだろうね。
さらば友よクリエーター情報なしザマサダ
その人間の価値はお葬式で決まると言われるが嘘。
葬式が終わってちゃんとお墓が建ってからだよ。
誰があなたのお墓にお参りに来てくれますか?
〜〜〜〜
友情と言えば
石田三成と関が原の戦い
関が原の戦いとはある意味では
友情の敗北
この側面が大きい。
〜〜〜
いつものように長い文章になってしまったがこの国が友情の時代に突入したことは確かだ。
されどそれは積極的な選択ではない。
恋愛が成立し難くなり消極的選択として浮上したに過ぎないからである。
次回は友情と同じく恋愛至上主義を終焉に追い込んだ「家族の絆」について書いてみたいと思う。
つづく
いや、もはや私の心の中にとどめておくことは出来ない。
文章化して吐き出さないと精神衛生上非常に悪い。
〜〜〜〜
私の知り合いの女性の話だが或る男性を好きになって結構、頻繁に会っていたと言う。
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だが・・・二人の仲には気付かなかった。
二人一緒のところを見なかったのもあるが男性は口数が少なく二人とも真面目そうで紳士淑女にしか見えなかったから。

実はこの男性は近いうちに結婚が決まっており婚約者が居た。
だが、本人が言わなかったんで彼女は知らなかった。
その事実を知った時、相当なショックを受けたようである。
これを不倫と表現するかは微妙だが婚約者の女性の立場になって考えてもらいたい。
と、ここまでは良くある話、である。
問題はその先である。
二人には共通の知人がおりそれは女性で彼女と結構親しく当時、プライベートでも良く遊んでいた。
かくいう私が1回だけだがこの二人とプライベートで遊んだことがあるので
二人は友達
だと思っていた。
仲良さそうに話してましたもの。
ところが・・・この女性は男性に婚約者が居ることを知っており、と言うか婚約者の女性と面識があった。
男性の背景を知っていたのである。
だが・・・・友人が泥沼にハマって行くのを止めなかった。
男性に口止めされていたのか?
それは不明だが「重要な情報」を’友人’に教えなかったことは確かだ。
同性への「告知義務」よりも異性への「守秘義務」を選択したのだろう。
偶然、他の男性から事の真相を知らされ二人の関係はご破算になったのだがこれを聞いた件の女性は悪びれた様子もなく笑っていたと言う。
この二人どうなるものやら、と傍観していたらしい。
実際には男性ともそれ程親しくなかったのが真相である。
〜〜〜〜
この話を聞いた私は当事者の女性以上に大きなショックを受けた。
なぜならば
全てのプレイヤーがそんな不道徳なことをする輩に見えなかったから
である。
全員、知性と教養を持ち知的で経済効率の良い仕事に従事している’善良な労働者’だった。
一番ショックを受けたのは女性の友人に対する対応である。
偶然が起きずそのまま突っ走っていたらどうなってしまったのか?
他人事のように傍観していたようだがまわり回って自分に被害が及んだことも大いに考えれる。
酷いショックを受け、恐怖に慄いた私はこの話を別人脈の連中(全て男性)に話したが誰一人驚かなかった。
一体、どこが怖い話なの?
と。
そう、もはや’一億総不道徳’’一億総開き直り’の時代、この程度のことで驚きショックを受けるほうが’おかしい’んだろう。
不倫して何が悪い!
ジュンイチ・イシダの「不倫は文化」発言から早16年・・・・時の流れは早いがとっても残酷で正直である。
全てがご破算になって数週間後、偶然、当事者の女性に会ったがピンピンしていた。
件の女性は地方に転勤してしまいやや疎遠になったようだが絶交した訳でなし、女同士の友情とやらも破綻しなかったようだ。
その時私は
女は強し・・・・
これを痛感した。

無駄に心配した私がアホやった・・・・
〜〜〜
愚悪の二項定理に従うなら
男性=悪人
女性=愚か者
友人の女性=悪人
婚約者=愚か者
となる。
だが・・同じ悪人でも男性の悪は憎めない面があるが女性の悪は質が違うように思う。
愉快犯と言うか人の不幸は密の味と言うか・・・げに恐ろしきは女の業とはこれのことか・・・
ここでこの記事の回収。
「東京ラブストーリー」 和賀部長の権謀術数
新入社員のカンチとは別に友人でもなんでもなかったが中山秀ちゃんはいかに善良な人間だったのだろうか?
だが・・・
穿ったことを書くが男女の関係はこの二項定理で全て説明できる。
賢者なんて一人も居ない
善人も一人も居ない
’被害者’も一人も居ない・・・・
いや、一人居る。
この話を人づてに聞いて心の中の’漆黒の闇’が更に深くなった私に他なるまい。
中途半端に登場人物を知っていたがゆえにショックを受けたんだろう。
〜〜〜
最近、若い女性と話をするとやたらと
女同士の友情を強調
して来るので正直どう返して良いか分からんし、大いに白ける。
どころか辟易して反吐が出る。
大いに嘘くさい
からである。
あからさまには腐さんが彼女等の言う友人とやらについてちょっと聞いてみると実際にはその人について詳しくは知らないことがほとんどだ。
なぜならば共通体験欲求が消滅して久しい世代においては共通言語が少なく濃密なコミュニケーションが取れていないからである。
お互いの趣味嗜好についてほとんど関心がないんだから仕方あるまい。
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従来では考えられなかった話である。
だが・・・
この国は間違いなく
友情の時代
のシフトしている。
その象徴がこの漫画だろう。



ルフィは仲間のために戦うのだ。
同じジャンプ超人気漫画でも我々世代の

はどう御託を並べても仲間のために戦っていたのではない。
地球平和のためでもない!
孫悟空は単にもっともっと強くなりたいから戦っていたのである
今思うと超自己チューではた迷惑な男だが
自己実現
我々世代の多くがハマッたテーマはこの漫画にも流れていたと言える。
自己実現のためには少々の犠牲はやむを得ない。
ドラゴンボールと人気を二分したこの漫画はどうだろうか?

仲間のために皆、頑張っていたのではないか?
さにあらず。
それは結果論に過ぎない。
そもそも桜木花道がバスケを始めたのは赤木晴子に好かれんが為であったことを皆忘れている。
宮城リョータと桜木花道の関係を「男の友情」で括るのは早計である。
この漫画はもう少し複雑である。

ジョセフ・ジョースターは愛する娘ホリィの為、承太郎は母親の為に命を賭けて戦ったのだが、アブドゥル、花京院、ポルナレフがディオと命を賭けて戦う動機は各々微妙に違うからである。
ジョジョについて書き出すと長くなるので割愛して先に進む。
女同士の友情にスポットを当てたのはこの漫画か・・・・

3年前、婚活研究の連載記事を書いたが最終回は
婚活研究 第三回 恋愛至上主義の終焉
>20代と30代の独身OLに
>「友達と彼氏どっちをとるか?」
>とアンケートをとった所約67%のOLが友達と答え恋人を圧倒した。
>10年前じゃ考えられなかったことだがこれが現実ってもんだ。
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私は自分が12歳の時に持った友人に勝る友人をその後も持ったことはない。
誰もがそうなのではないだろうか?
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そうじゃないとマズイ
人類が滅亡してしまうではないか?
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もはや恋愛など滑稽な三文喜劇であることが痛いくらいに分かっているが、身体に染み付いた恋愛至上主義が抜けられない英国三十路女の葛藤を克明に描いたからである。
この映画でも友情はかなり軽視されておりたとえ滑稽な三文喜劇であっても異性間の恋愛の前にあっけなく敗北する。
また同性間の友情と異性間の恋愛双方が信じられなくなった時、第三の選択としてゲイの友人が登場する点は時代を大いに反映していると言える。
田吾作に担がれた薄っぺらい邦画では描くことの出来ない’真の21世紀の映画’である。
ここで日本で大ヒットしたイギリス映画を振り返ってみたい。

恋愛の前に男同士の友情があっけなく敗北する話である。
〜〜〜〜

この映画もまた友情を否定している。
〜〜〜〜

この映画に至っては友情と言うか「仲間」すら否定している。
主人公レントンにとって周囲の連中は所詮、腐れ縁に過ぎなかった。
>俺には友達は一人も居ない。顔見知りが何人かいるだけだ。
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大ヒットした訳ではないが・・・

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その辺がフランス人と違う。
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その辺がイタリア人と違う。
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ゆえに万事楽天的なイタリア人とは全く違う理由で自殺率が異様に低い。
ある意味で世界最強の国民と私は高く評価している。
閑話休題。
ミクシィに「友達は財産」なるコミュニティがあるがメンバー数は40万人を超えており総数4820688件の中で堂々の10位である。
当然、あらゆる恋愛系コミュニティのメンバー数を上回っている。
90年代半ばにミクシィなるサービスがあったと仮定して「友達は財産」なるコミュがこれ程大きくなったとは考え難い。
私にとって友達は財産だったのだろうか?
ザ・ヒューマン・セーフティネット
>その辺、O矢君と一緒に居るのはかなり楽だった。
>異性関係の話、ほとんどないんだもの。
>当時、O矢君は口を開くと愚痴か能書きしか垂れない駄目駄目の私をセーフティネットに例えていた。
>私を見ると妙に安心するんだと言う。
この4行が全てを物語っていよう。
友達は財産ではなく保険に過ぎなかった。
前述のブリジット・ジョーンズの日記においても友達は一人ぼっちになった時の保険扱いで描かれている。
だが・・・・
長い人生では財産よりも保険の方が遥かに重要で価値がある
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1998年放映のこのドラマ

では女子高特有の陰湿ないじめを克明に描いているが私は特に違和感を感じなかった。
私自身は小中高通して公立の共学校だったがそこで見て来た女子連中のいじめはかくも陰湿で残酷なもんだったから。
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みんな昔は私の友達だった。
修学旅行の班が一緒だったとか一緒に廊下に立たされたとかそれこそスタンド・バイ・ミーみたいに一緒に野宿したとか。
だが・・・共通体験が出来たのはせいぜい高校まででそれ以降は全く別々の人生を歩んだこともあって昔話に花が咲くくらいでそれ以上でも以下でもない。
それが普通である。
浴衣姿の子供たちを写した写真の数々の方が遥かに’いい絵’だし価値がある。
私の宝物の一つである。
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今年の2月に出身高校のOB会にチョコっと顔を出したら専門学校2年生の後輩の女子が出席していた。
この子と今ここで書いてきたような話を軽くしたんだが今、若い連中の間で1番残念なのは恋人が居ないことではなく友達が居ないことらしい。
お昼休みに一人でお弁当を食べるとか論外らしい。
この話を聞いた時、前述の「友達は財産」と言う表現も微妙と思った。
なんて言うか
最低ライン
の臭いがしたからである。
やはりセイフティ・ネットとか保険に近いというか。
女子だけでなく男子もまたそうだ。
職場に男子大学生のアルバイトが来ることがあるが話してみると自分には友達が居ることをやたら強調する。
絶句したのはこの書籍で

男同士でトイレに行く、とか、友達と同じゼミでないと駄目だって男子大学生が多々見受けられるらしい。
ま、実社会に出れば
日本男児ほど組織に固執し群れたがる残念な生き物はいない
ことを痛感するのだが彼らを弁護するなら彼らも若い頃からそうだった訳ではない点である。
そうしないと生きていけないと言う悲哀・・・・
実社会に出る前から群れちゃっている男子の未来を想像するだけでゾっとする。
繰り返すが恋愛はもう往時の力を持たない。
男女とも独身者の割合は増加の一途を辿っているが15年後は50歳未婚率は35%に達しているだろう。
その結果、どんな光景が見受けられるのだろうか?
想像に難くない。
この先、何十年も連載が続いても漫画の中のキャラクターは中身は成長することはあれど外見は酷く劣化しない。
されど現実世界はそうではない。
これは特記しておきたい。
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男女問わず自分自身の友情に自信がある方は是非この書籍を一読されたし。

恐らく軽々しく 親友 とか 友情 なんて言えない筈だ。
この本が書かれたのは戦後でありヒトラー及びナチス・ドイツの蛮行が明らかになり罪状に対して判決が下った後である。
誰も表立ってヒトラーを肯定しない、いや、出来ない。
だが、クビツェクは明言する。
私はヒトラーの親友だった
と。
ヒトラー、及びナチスの洗脳が解けていなかったから?
さにあらず。
クビツェクとヒトラーが親交を深めたのはヒトラーが政治家になる前である。
クビツェクはナチスに入党しなかったし反ユダヤ主義者でもない。
戦前金銭的な援助を受けた訳でもない。
ヒトラーとクビツェクの間にはイデオロギーは言うに及ばず愛とか損得勘定をも越えたもっと崇高な何かが存在していたからである。
予言めいたことを書くが2015年に映画化されることと思う。
映画化だけでなくこの年、ヒトラー関係の書籍が大量に刊行されることと思う。
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日本人で最も親友を沢山持っていたのはやはりこの人です。

最近、読み直したんだけど3ページ読んで号泣・・・・
もう、現代の友情なんてどれもこれも薄っぺらい、薄っぺらい。
この人ほど広く深く愛された日本人は居ないだろうね。

その人間の価値はお葬式で決まると言われるが嘘。
葬式が終わってちゃんとお墓が建ってからだよ。
誰があなたのお墓にお参りに来てくれますか?
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友情と言えば
石田三成と関が原の戦い
関が原の戦いとはある意味では
友情の敗北
この側面が大きい。
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いつものように長い文章になってしまったがこの国が友情の時代に突入したことは確かだ。
されどそれは積極的な選択ではない。
恋愛が成立し難くなり消極的選択として浮上したに過ぎないからである。
次回は友情と同じく恋愛至上主義を終焉に追い込んだ「家族の絆」について書いてみたいと思う。
つづく